2004年1月30日
大変遅くなりましたが、みなさん明けましておめでとうございます。「身体が丈夫なのが一番の自慢」と言い続けて来た僕ですが、先週から1週間風邪で寝込んでしまいました。何年振りなのかと記憶を遡ってみても全く思い浮かばないくらい、久しぶりの“病休”というやつです。ようやく今日から回復して、職場復帰しましたが、まだどこか身体がフワフワしている感じです。そんなわけで、ここしばらく家で寝込んで連ドラなど観ておりました。「白い巨塔」「砂の器」「新撰組!」「プライド」・・・。王道を行っております。 「白い巨塔」は石坂浩二、西田敏行といった脇の悪人ぶりが気に入って毎回必ず観てまして、ここのところ、このふたりの登場が減ると同時に、善悪の図式と演技が多少わかりやすい方向へ流れているのがちょっと残念な気がしていますが。(唐沢さん演じる財前医師が、失敗しそうになった手術をなんとか成功させちゃった時に、チェッと舌打ちした石坂浩二の口元のゆがみがあまりにみごとで、VTR巻き戻してもう一度観直したぐらい・・・好きでした)それでもさすがは井上由美子さん。脚本、場面展開も鮮やかで、骨が太いです。 ま、残りの3本にはあまり触れないようにしまして・・・先日メールをくれたオカタエさんへのお答え。 僕、早稲田の学生だったんですが、確かに、もぐりで立教のハスミゼミ「映画表現論」に通っていた時期があります。もう20年も前のことなので、詳しいことは忘れちゃってるんですが。(当時のノートとか押入れからひっぱり出すと、たぶんいろいろと思い出すと思うんだけど・・・。)でも、大学2年、3年、4年と、たぶん3年間はちょこちょこ顔出してるんじゃないかな・・・(皆勤とはいきませんけど)。1984、5年の頃だと思います。 なんでわかるかっていうと、1回目のコーギに出た時に、来週までにタルコフスキーの「ノスタルジア」を観てらっしゃい、と言われたのと、いつもは軽妙に学生の笑いをとりながら話すハスミ先生が、非常に沈痛な面持ちで「どうもトリュフォーが亡くなったらしい・・・」というようなことを教壇の上で呟いたのを強くおぼえていて、それが84年なんですね。たぶん。 今から考えると当時の自分にどの程度理解できていたかははなはだ疑問だし、コーギのディテールは忘れてしまいましたが、当時は正直、毎週カルチャーショックを受けるくらいの衝撃でした。僕が大学生活5年間の中で唯一まじめに出席した講義だったと言っても過言ではないくらい。人生観が変わるというよりは、世界観が変わる、というような・・・大きな出会いのひとつであったことは間違いありません。(余談ですけど、その前の大きな出会いは、実は駿台予備校時代の藤田先生っていう国語の先生なんですけど・・・それは又別の話) オカタエさんがおっしゃる通り、たぶんその同じ教室には篠崎さんとか塩田さん、青山さんもいたんだと思います。ただ僕はやっぱり外部からの聴講生でしたし、彼らとは言葉を交わすことはありませんでした。残念ながら。早稲田には僕の卒論を担当していただいた岩本憲児先生という恩師もいましたし、卒業後はテレビの世界に入ってしまいましたから、あんまり「ハスミ門下生」という認識は僕自身は持ってないんです。というか、持ってはいけないと思っているのです(ハスミ先生も僕のことは全く記憶にないはずですし) ただやっぱり、あのコーギを受けてより深く「映画」について考えるようになったことだけは間違いないです。受けられるものならもう一度受けてみたいとさえ思ってますよ、今。 又話はテレビドラマに戻って。年末年始にも「秀吉」とかいろんなスペシャルドラマをチラチラ観てたんですけど、ひとつ気になったのは主人公が「戦争は良くない」「争いは何も生まない」とやたら呟くんですよ。この間「新撰組!」の土方歳三も言っていて驚いたんだけど・・・。でも結局みんな殺すんですよ。戦うんです。いやいやながら。「たそがれ清兵衛」もそうでしたけど。殺さないなどという選択肢は、彼らにはあり得なかったんだという時代の封建性を描きたかったようにはどうも思えなくて・・・戦いや人殺しはどれも家族の為だったり、世の中の為だったりするわけだ。 で、観ていて困るのはですね・・・作者の目線が・・・立ち位置がどこにあるのかわかんなくなっちゃうんですよ。それはこんな時代(今)に対するささやかなメッセージのつもりなのか・・・つまり「平和主義」の表明なのか・・・殺すことに抵抗感を持っていてほしいという人間性に対する願望なのか・・・。もしそうだとして、それはメッセージとして機能すると考えているんだろうか・・・。それは「殺人」をする側も苦悩してるんだ、本当は平和を望んでるのだ、やりたくてやってるんじゃないんだっていう口実を「権力者」に与えているだけなんじゃないか。その主人公の「苦悩」と「矛盾」は、民主主義を与える為だと言って空爆するアメリカとどこが違うんだ?その矛盾は、平和貢献だと言いながら、イラクの為ではなくアメリカの為に軍隊を送り込む日本と同じなのではないか?確信犯的に戦争する側への加担を表明しているならまだしも、恐らくは作り手は意味のない善意が、たちの悪い悪意に変質しちゃってることに気づいてないんじゃないだろうかとも思う。恋愛や友情や家族愛を面白く見せる為の負荷として使ってるだけだと、作劇術としての戦争だ、と言ってもらったほうが余程スッキリするんだけど・・・。なんか・・・非常に観ていてイライラする「甘さ」なのです。たかがテレビドラマと思うかも知れませんが、僕は本気で怒ってました。「でも結局殺すんだろ?」とハナミズをたらしながら。では又。 是枝裕和
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