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女性3
: 帰りの電車のARATAさんと浅野さんのシーンで、なぜ問いかけられているARATAさんの感情ではなく、問いかけている浅野さん演じる坂田という男の好奇心の方を撮らなければならなかったのですか?
是枝 : 難しい質問だな。それは僕の意識というか、カメラの意識がそっちに向いているって感じがしたのかな・・・。あのセリフはかなり2人に任せているんですね。本当は誰なんだという問いかけを、どのタイミングでどういう状況でするかはかなり悩んでいました。どういうシュチュエーションなら彼が問いかけるだろうかと考えていて。最初はロッジでやろうかとも思ったけど、ロッジじゃできないなと思って。なぜあのタイミングかというと、あれは好奇心というより、僕の中では悪意なんですよ。あの状況だったら彼が悪意を持ってあの問いかけをしても、すぐ別れられるじゃないですか。ロッジで言ってしまうとその後一緒にいられなくなる。とすると言えないなと思った。彼があそこで、ああいう形で悪意のある問いかけをすることが大事だと思っていて。僕の中で、きっかけは立ち食い蕎麦屋にあるんですよ。あの蕎麦屋のシーン、自分で言うのはなんですけど、好きなんです。あそこで1人で黙々と蕎麦をすする浅野君が好きなんです。ですごく痛いなと思っていて、あそこの感情を引きずっていて問いかけるというように、僕はとらえているんですけどね。
女性3 : 足元とか、足の裏が映っているのが多いんですが、何かイメージがあったんですか?
是枝 : 撮影の前に思ってはいなかったんですが、撮り始めたらそういうカットが多くなったんです。結果的にいいなと思って全部(編集で)残した。脚本にあったわけじゃないんです。靴とか足の裏とか。ただ回想シーンのりょうさんの足元とか夏川さんの玄関で崩れ落ちた時の足の裏とかっていうのは、現場にいて僕もカメラマンもそこに惹かれたんだと思うんです。あんまり言葉で説明できないんですが。
女性4 : 『ワンダフルライフ』とくらべて、私は『ワンダフルライフ』の方が好きだったんですけど、監督は神様で信じるものがない日本人と、携帯電話的な日本人をどう思いますか。
是枝 : いい質問はいつも難しいよね。今回の映画は『ワンダフルライフ』とは読後感が違うと思うんですね。持って帰る感情もかなり違うと思う。違うものを狙ってるんですけど。『ワンダフルライフ』より痛い感情を描きたいと思っいて、こういう映画になってるんです。そう決めてやっていたわけじゃないんですが、『ワンダフルライフ』は、どう記憶を人と共有するかという話で、今回のは人と共有し合えない記憶についての話という感じがしています。どちらも僕は好きです。信じるものを持たない、携帯でしかつながらない中でどういう風に生きていくかということを考えなくてはいけないなと思っています。向こう側ではなくこちら側で。だから信仰を持たずこちら側に残った人たちを主人公にして作ったつもりでいます。
男性3 : 僕は大学でカメラ回しています。手持ちカメラで撮影をすると、いい画が撮れるかどうか怖いんですけど、監督や伊勢谷さんは映画を作っていてそういうことはないですか?
伊勢谷 : 撮りたいものがブレていても撮れるものがあるじゃないですか。それを撮ればいいんじゃないんですかね。固定して、安定感があって、構図もよくて、きれいでっていうのが映像の全てじゃなくて、その中に含んでる感情だったり空気だったりとかが撮れてればブレてるカメラも怖くないんじゃないですか?
是枝 : その通りだと思います。美しい画を撮るためにカメラがあるのか?それをどう考えるか、カメラは何を撮るために何を撮っているのかということについて、僕も撮りながら考え方が変わってきています。1本目の『幻の光』を撮った時はどういう画になるのか不安で不安で、現場にモニター出して画を写して、もう5cmカメラずらしてくださいみたいなことをやってたんです。でも、もしかして映画のカメラっていうのは画を撮るためにある訳じゃないかもしれない、というのが今あって、そのシーン、シーンにある時間だったり感情だったりをどう撮っていくか、と考えています。そうすると固定しない方が役者とカメラのコラボレーションがうまくいったりするんです。特に今回は役者がどう動くか決めずに好きに動いてね、ということでしたから。その時にカメラも好きに動ける状況にしておいた方が逆に安心でした。
女性5 : ズームが3回使われてたんですけど意味があるんですか?
是枝 : りょうさんの河原のシーンと、伊勢谷君が湖でバシャバシャしてるところと、ARATA君が笑ったところだな。あれカメラマンが勝手にやってるんですよ。(笑)多分カメラマンはそばに寄りたかったんじゃないかな、気持ちでアップにしたいなって思ったんじゃないですか。カメラワークとか僕が指示したわけじゃないです。現場にいたカメラマンが「あっ、いい表情だな」と思ったからだと思う。伊勢谷君のシーンも湖に手を浸してって言ってるわけじゃなくて、あの状況におかれた彼が、自分からああいう行為をしたのね。で、あとで考えるとすごく意味があるなと、僕は思ってたんですけど。カメラマンはその時に多分、水に浸した手のアップというのに感情が動いたんだと思うんです。カメラマンの感情が動いたってことを残したいなと思って、こういう映画になってます。
女性5 : 照明が使われていないのはなぜですか?
是枝 : カメラを手持ちにしたのと同じ理由なんですけど、役者に自由に動いてもらうためにフィルムの感度を上げて。今はフィルムは感度が良いのであえて照明をたかなくても撮れちゃうんで、やめちゃいました。『ワンダフルライフ』の時もほとんど使ってないんですけどね。
女性6 : 5人のうち3人は話の終わりに帰っていく家族や相手がいるけれど、浅野さんとARATAさんにはあえて厳しさをもってきた理由は?
是枝 : 敦は、多分あのあと帰る場所を作らないといけないんだよね。向こう側を拒絶したわけだから、こちらに戻ってきて、どうやって生きていくのかというのを彼はこれから模索していくんだと思うんですよ。擬似的な家族関係も全部なくなっちゃった。じゃあどうするんだ、ということを彼が正面から受け止めるために、とりあえず一人にしてみるという感じです。彼に関しては。
是枝 : そろそろ時間がきてしまったのでまとめを・・・
伊勢谷 : 僕がまとめるんですか?(笑)
是枝 : 観てくれた人にメッセージを。
伊勢谷 : みなさんの意見を聞いていて、みなさんはすべての物になにかしら意味を持たせたがったりとか、持たせてる方もいらっしゃると思うんですよ、監督に。でも是枝監督の作品に最初から完成まで関係させていただいて思ったんですが、監督の作品では、偶然性で起きていることが常にみなさんの言う意味みたいなものになってることがかなりあるじゃないですか。だから普通に生きてるのと同じような形で、偶然性が必然だったり、必然性が偶然だったりってことがこの映画にはあるから、感じるままにとらえることが是枝監督の作品を見る時の一番いい方法かなと思いました。僕も意味つけたがる方なんでそう思いました。どう、このまとめ?(笑)
是枝 : (笑)確かにあんまりディティール全部に意味を持ちながら生きているわけではないので、そういう、日常と近いリアリティで映画を作りたいなと思っているのは確かです。まさに今伊勢谷君が言った通りです。撮っていて一番面白かったのは、例えばお兄ちゃんにアイスクリームを渡された伊勢谷君が、2つのアイスを持ってどっちをたべようか悩んだりする。ああいうのがすごく好きなんですが、別にそれに意味があったりするわけじゃないじゃないですか。このアイスの片方があちら側の世界で、こっちがこちら側の世界でって(笑)考えて撮ってるわけじゃないし、考えて演じてるわけじゃないけど、ああいう瞬間が豊かだったりするんですよね。
伊勢谷 : そうだよ。映画ってさ、ワンシーンワンシーンが何かの目的のために大抵はつくられてるけど、今回は僕なんか、ああやってやりながら、ミルクがいいのかシャーベットがいいのか、フッと考えたりしてる。そういうことが結果ああいう風になってる。それが結局人間のアバウトなところなのかな。またまとめちゃった。(笑)
是枝 : それが豊かなんですね。そういうことだよ。すべてが物語の結末に向かって行く映画も、もちろんあっていいと思うんですけど、今回みたいな映画があってもいいかなという感じです。ありがとうございました。
伊勢谷 : ありがとうございました。 |
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