 |
映画らしい映画
2004年8月29日 may
舞台でもない、ドキュメントでもない、ましてTVドラマではない、映画らしい映画を久しぶりに見ることができた気がしました。
気分を盛り上げるBGMやスピード感のある映像があるわけではないのに、子供たちの表情を追うためだけに映像に釘付けになっていました。
子供たちが、無責任な父親たちを、弱い母親を、何にもできない大人や社会を責めることがないように、映像も台詞も彼らに寄り添って展開されていたように感じます。
考え付くことを精一杯試しながら、頼れる人だけに信頼を寄せながら、毎日を送っている子供たち。
不必要なストーリーテラーも、おしつけがましい社会正義もでてきません。
子供たちの直面したであろう、小さくて危うい日常が的確なカメラワークで収められていました。
現実はもっと生々しくて、もっと残酷なのだと思います。映画作品にすることで、危機の事件性ではなく、子供たちの、特に長男のこころのゆれを際立たせることができたのでしょう。
この映画のように生命の危機に立たされる子供たちは多くないと信じたいものの、親との関係の中で孤独な世界に生きている子供は多いのではないでしょうか?
どんなにがんぱっても小さく危うくアンバランスな存在である彼らを抱きしめてあげられる大人がどれだけ世界にはいるのだろう、そんなことを考えた帰り道でした。

【このメッセージは作品の内容に触れています】
「なぜ」が止まりません
2004年8月29日 ゆきね
こんばんわ。はじめまして。
かれこれ3,4年は映画館に足を運ぶということのなかった人間が、たまたま近くでこの映画を上映していると知り、行ってみようという気になりました。
とにかく「なぜ?」という思い、いたい思いが、映画の最初から最後まで止まりませんでした。なぜこういうことが起こるのか。なぜこういう目にあわされるのか。なぜおとなたちはこういうことをするのか。なぜだれも助けてくれないのか、、。でも、見ている人間が簡単に泣いてしまうことを拒むものが、この映画のどこかにあって、泣きそうになりながらも、とうとう、泣くことができませんでした。泣いては、いけないのだろうと思いました。
映画が終わったあとも胸の痛みは止まりませんでした。舞台が現代の日本、のせいもありますが、映画の世界に自分が入り込んでしまったような、映画の世界が現実に延長されたような気分で、ふっとカフェの外に明がぼろぼろの服を着、じっと立っているのでは、とさえ思いました。これほど作品に感情移入してしまったのも、はじめてかもしれません。
見ている人間がこれほど「なぜ?」と思い続けるのですから、監督さん御自身はもっともっと、なんというか、「痛かった」のでしょうね。
でもほんとこどもたちが魅力的!おとなたちもものすごくリアル!映画の最後は、救いがあるわけでもなく、状況が改善されたわけでもないのですが、子供たちの生命力自体が彼らの救いのようなエンディングに、ちょっとだけほっとして?、見終わることができました。
ひとのしあわせは、自分を感動させるものやひとにどれだけ出会えるかだと思いますが、この映画は間違いなく、そうしたもののひとつです。
こうした映画、見させていただいて、本当に、ありがとうございました。
今後のご活躍お祈り申し上げます。

24日の・・・
2004年8月29日 yagitaicho
大阪での1回目の舞台挨拶に行きました。とても濃く楽しい時間を過ごさせていただきました。
映画の方は、号泣するのではないかと予想していましたが、意外や意外、自分が子ども達の目線になって「なにくそ」みたいな気持でいたようです。
あと、パンフレットで是枝監督が子ども達について書いておられる部分を見て、彼らを大人扱いされているのが凄いなーと思いました。
日本の大人、というか親って、何かにつけて子どもを見下そうとする人が多くて、嫌な思いをすることが多いので。
是枝さんみたいなお父さんが欲しかったーなんてね(笑)
切なくて愛しい子供達
2004年8月29日 母親の一人
昨日やっと見ることができたこの映画は母親である私に大きなものを問いかけてきました
子供を産み育てるということ、母親になるということ
あの子達の瞳にすべてがこめられているからこそとても胸が痛かった

今、みてきました。
2004年8月29日 道端
言葉にするのは難しい。しかし、今まで見た映画の中で、一番良い映画だった。

誰にもいえない
2004年8月29日 ちー
誰も知らない 見させていただきました。私の心と、思い出と重なるところがあったりして、胸がしめつけられました。子供たちは、まるであのアパートで生きていたようで、ひとつひとつの台詞や、目の流れがかなしかったり、温かかったり、本当にあの中にいたみたいでした。明君の強さ。私は、親のせいで自分の人生を変えたくないと思って、がんばってきました。
母への愛しさ。憎しみもうらみつらみも、言い切れないほどあっても、幸せでいてほしいと思ってしまう。本当は自分が一番愛されたいのに。そばにいてくれるだけでいいのに。
いろんな場面で、明君や子供たちと同化してしまう自分がそこにありました。だから、悲しいお話なのに、こんな世界があるのかと思われるお話なのに、なぜか涙はでませんでした。きっと、私は同じような場面でずっと泣いていたからだと思います
逆に、彼たちの流れていく時間の中を生きている強さを そしてその中で見せる笑顔が、たまらなくいとおしかったです。
すばらしい映画を作ってくださった方たちに、感謝します。そして、この映画は、私がずっとおいていた生きてきた時間をよみがえらせて下さいました。ずっと忘れたことのない日々に 小さな木漏れ日をさしてくださいました。今、生きているあなたたちは、頑張ったんだね。と
最後に、監督のパンフレットのお話の中で、この映画を作るのに十五年かかったとかかれてありました。そして、母親の四十歳と言う年齢と自分がならんだことからの、視点も。
私も監督とかわらない年齢です。そして、十六歳の時に私の家庭は崩壊しました。私の母と父はそのとき38歳と37歳でした私は自分のせいもあると思って、ずっと重い十字架をせおってきました。でも、自分がそのときの父や母の年齢になったとき同じ行動をとるか、同じことを言うかを考えてみようかと、思っていました。そして、その年齢とならんだ時に、私の十字架ははずれると思っていました。でも何もかわらなかったのですただ、自分にもういいよって、いいきかせるようにはなりましたが。突然いなくなった
母、お金もいれずにかえってこない父だれにも言えずに、普通の顔をして弟と私は、学校に通っていました。 去年、十年近く会っていなかった父が他界しました父のしたことのすべてが流されました。そして、私の父への後悔と思い出だけがのこりました。また、いろいろきいてもらえたら、うれしいです。いろんなおはなしをきいてもらいたいです。いろんなことが、やまのようにありました。でも私はどんなときも、笑顔のたえない、幸せいっぱいな顔をしてるといわれいています。大なり小なり人にはそれぞれ悲しいこともうれしいことも、その人なりにあるのだと思います。たとえそれが人からみたら、かわいそうなことでも、不幸にしかみえないことでも。普通って、本当はないんじゃないかと思います。

あの子たちはどうしているのでしょう?
2004年8月29日 ゆき
明くんたちのような子どもたちを育てている施設で働いています。
映画館では若い人が多かったので、どのような感想をもつか知りたかったのですが、映画が終わるとみんなしんみりして言葉が聞けませんでした。
現実はもっと悲惨です。こんなことを子どもにしないで!こんな子たちをみかけたら児童相談所に知らせて!
モデルになった子どもたちが幸せになっていることを祈ります。

私の道しるべ
2004年8月29日 むぎ
トークショー&ミニライブへ行ってきました。
ほのぼのとあたたかな空気に包まれていて、「誰も知らない」はみんなに愛されていることがしみじみと感じられて自分のことのようにうれしく思いました。アニエスベーさんに愛されたことで、こうして「誰も知らない」を愛してやまない人たちが集まって素敵なひとときを共有して・・・。「誰も知らない」が生み出すつながりは、伸びゆく道筋のように思えてきます。私はその道を辿ることで、社会で起きる様々な問題に目を反らしてきた自分の姿に気づかされたり、タテタカコさんの音楽に出会えることができました。この道で出会うものは私の生き方の道しるべとなっていく予感がします。
スカパーで是枝監督のドキュメンタリー作品が特集されていたようですが、残念なことに我が家は加入していないので見ることができませんでした。・・・本当に残念!
「誰も知らない」関連以外でも是枝監督のお話を聞く機会があればとてもうれしいです。(お忙しいとは思いますが・・・)

【このメッセージは作品の内容に触れています】
「誰も知らない」への私の想い・・・
2004年8月28日 はんな
是枝監督&スタッフさま
是枝監督の作品「幻の光」から、拝見しております。
お盆に京都の繁華街に在る映画館で「誰も知らない」をみせて戴きました。
期待に違わず、素晴らしい映画でした。
稚拙な文章ですが、自分のblogに映画の感想を書かせていただきました。
ここに全てをコピーするには、長文なので、少し、抜粋させて戴きます。
『是枝監督は、この悲惨な事件の中にも、命の輝きや未来への希望を見出し、それを子役の子供たちに託し、ご自分の映画の中で謳ってくれたのではないかと思います。
ラストシーン・・・茂は他の3人に遅れながら、自販機や公衆電話のお釣銭が残っていないか確かめながら歩いています。お金が無い、食べるものが無い、それは筆舌に尽くしがたいどん底の生活なのでしょうが、茂にとっては、そんな街の歩き方も、実は楽しいものであったのかもしれない・・・。
幼い子供を置き去りにし、結果的に我が子を死に至らしめた非情な母親にも、もしかすると、わずかな母性があったのかもしれない、かつては子供達との楽しい団欒の時間だって、あったのかもしれない・・・。
この映画は、あまりにも惨たらしく殺伐とした現実(自分も含む大人たちが、誰一人、その子供たちを悲惨な状況から救ってやることができなかった、という無力感)に対する、是枝監督の祈りにも似た悲痛な願いなのではなかろうか・・・私はぼんやりと、そんな
風に思うようになったのです』
【北浦愛ちゃんへの想い】
blogの中にも書きましたが、私は愛ちゃんの、どこか憂いを秘めた、そして利発そうな目に、とても魅かれてしまいました。(柳楽君は勿論なのですが・・・。柳楽君の表情で一番印象的だったのは、4人で外へ遊びに行こう、と皆の靴を出したときの、あのはにかん
だような笑顔です。本当に“愛おしい”と思える少年ですね)
私は、映画は真っ白な状態で観たいタイプで、映画の公式H.P.も、映画を観てきた後で、初めて見せていただきました。そこに書かれてあった愛ちゃんの文章を読んで、少し驚き、そして、とてもうれしくなってしまったのです。
お母さん役のYOUさんが塗ってくれたマニキュアがはみ出していたことが、とても「・・・らしい」と、愛ちゃんは書いてはりますよね。それを読んだ際に、“なんて、感受性の強い子供なんだろう”と、思いました。映画の中でも、はがれてゆくマニキュアが、母親が戻ってこない哀しい生活を印象的に物語っていますが、愛ちゃんは京子になることで、きっと、色んな想いを感じ取ったんだろうなあ、と思います。実生活では、親の愛情にも恵まれ、裕福な生活をしているお子さんだと思いますが・・・。
「愛ちゃんはアパートの猫を可愛がっていた」という是枝監督のコメントを読んでも、愛ちゃんの感受性の強さを感じます。弱い小さな命が気に掛かるのでしょうか。映画の中にもチラリと猫が出てきますが、愛ちゃんが可愛がっていた猫とは、あのニャンコのことなのでしょうか?
実は、私、あの猫 ^・・^ のことが気に掛かっていたんです。私は、よく、見るにみかねて捨て猫を拾ってくるもので(苦笑)、「誰も知らない」の中でニャンコの姿がチラと映った際にも、“どうも、この猫は動物タレントじゃなさそう”(猫が居ることで、アパートの生活感は出ますが、この映画の中では、猫がそれほど必要な存在ではなかったので・・・)映画撮影でたくさんの機材車が入って、轢かれたりしてないかな???今も元気で生きてるのかな?と、一瞬にして、そういう心配が沸き起こっていたもので・・・。(笑)
多分、あの猫ですよね?あの猫は愛ちゃんたちに可愛がられてたんですね。良かった。^0^
「猫を飼おうかなあ」とも、書いてはりましたが、できればペットショップで品定めするんじゃなくて、人間のエゴで捨てられてしまった不幸な命を1匹でも救ってあげてほしいな、と思います。ペットをアクセサリーのように手に入れ、そして飽きるとゴミのように捨ててしまう人たちが大勢いますが、愛ちゃんは、そんな人種とは違うような気がしてしまうのです。(私の勝手な願望に過ぎませんが・・・)
感想を書くはずが、横道に逸れてしまいました。すみません。 m(_ _)m
長々のお目汚し、失礼しました。
次回作も期待しております。
末筆ですが、ステキな映画をありがとうございました。

言葉が出ませんでした。
2004年8月28日 みあ
本当に本当に是枝監督の作品はいつも見終わった後に考えさせられます。ある意味後味が悪いんだか良いんだか、、、しばらく自分の生活に戻れなくなります。
今回も、登場した子供たちの世界にどっぷり浸かり、今も明がひょっこり帰ってくるような気がします。
映画のはじめは、何気なく見ていた子供たちの笑顔。しかし、映画を見終わってから、その笑顔を思い出せば出すほど涙がこぼれます。
「誰も知らない」なんて切ないタイトルなんでしょう。
自分の世界に戻れたら、また見に行きたいと思います。

誰も知らないを見て
2004年8月28日 増尾聡
僕は中学2年生です。この映画を見ているとき「今まで見てきた映画の中で一番難しいな」とおもっていました。見終わった後もなにか心のなかにモヤモヤが残りました。
家に帰ってもそのモヤモヤはとれず部屋に1人でこもりそのまま寝てしまいました。目がさめても心のモヤモヤは取れず本当にいろいろなことを考えました。
でもやっと一つの結論が出ました。
僕らは当たり前のように学校に行き、好きなことを自由にしています。でもこの子達はその‘当たり前’のことが出来てないことに対し、かわいそうとか、そんな風にしか思っていませんでした。でもこの映画は難しいのではなく何かを考えさせる、そんな映画なんだと思います。僕はこの映画が伝えたいメッセージがまだ分かりません。だから僕はそのメッセージが伝わるまで何度でも見ようと思います。きっと出演している一人一人が僕に小さなヒントを与えてくれると思います。

大好きな映画
2004年8月28日 りんご
なんて胸がしめつけられる映画なんだろうと思った。でも、彼らは自分たちが不幸とは思わず、小さな幸せを見つけて明るく、前向きに生きていた。だからこの映画を「悲しい」の一言では片付けられないんだと思う。
見終わった私は気づかないうちに涙だらけになっていて少し恥ずかしかった。
私が今まで見た映画の中で一番心に焼きついた作品だった。
見た日から毎日寝る前、目を閉じると彼ら4人のことを思い出してしまい胸が熱くなってしまう。
もう見てから10日も経つのに・・・

怒りや悲しみの裏側にある希望
2004年8月28日 hiroaki
明君達へ
You'll never walk alone!!!

残酷なほどに純粋
2004年8月28日 雅子
何も知らない、知ることのできない子ども達の笑顔が
痛々しいほど純粋で
思わず涙がこぼれそうになった
深刻な社会問題として重く扱われがちなテーマを
大人の一方的な態度から決めつけることなく
子ども達の世界を子ども達の視線とともに大切に、そして丁寧に
表現しきった是枝監督に敬意を表します

無題
2004年8月28日 エム
映画を観た後「本当に観てよかった」と胸が一杯になりました。しばらくは「誰も知らない」の世界が頭から離れませんでした。上手く言葉に出来ないのですが、パンフレットに是枝監督が「・・・だから僕は、僕の心の中で彼をしっかりと抱きしめるためにこの映画を作ることを決意した。」と書かれているのを読んで、その思いが映画を通して全て伝わってきたように思います。また、映画中、自分はこの子供達を受け止められる人間でありたいけど自分に出来るのだろうかと自問自答し続けました。2時間20分の時間を全く感じず、映画の世界に入り込みました。音楽もとても素晴らしく、特にタテさんの歌声が流れたときは鳥肌が立ちました。素晴らしい映画を作っていただき、本当に有難うございました。

早く観たぃデスっ!!
2004年8月28日 ひとみ☆
私ゎ柳楽ゅぅゃkunの大ファンです☆
『誰も知らなぃ』ゎ柳楽kunが出てるから!!ととても単純な理由で観たぃ!!と思ってぃました。
しかしCMなどを見ると何故かそんな事関係なしに観たぃ!!と思ぅょぅになりました!!
私の住んでぃる所でゎ9月中旬にならなぃと上映されません。
なので早くその日が来るのを心待ちにしてぃます!!

見ました。
2004年8月28日 ゆか
「誰も知らない」見ました。
一言でいうと切ない。
けどこういう風景はどこにでもあるものなんじゃないかな。
そっと切り取られたひとつの家族
前をじっとみつめるまっすぐな眼が心にぎゅーっときました。
忘れてはいけない映画だと思います。
ありがとう☆

【このメッセージは作品の内容に触れています】
明の今後
2004年8月28日 晶
映画はあれで終わりだけど、映画の明にも未来はあるわけで、それを考えないわけにはいかない状況に身を置かされています。
ラストで一人欠けて一人増えた状態になった彼らが、一見日常を取り戻したかのように淡々とした日々をこれからも彼らなりに一生懸命に送っていくのだろう…とはどうしても思えません。
突然戻ってきた母親に明が責められたらどうしよう?
近所の人に気づかれて世間にすべてが明らかになった時、緊張の糸の切れた明が壊れたらどうしよう?
自分はどうしても明視点でしか観れなかったから、彼のことが気になって仕方ありません。
どうか幸せになれますように、と願うばかりなのでありますが。

【このメッセージは作品の内容に触れています】
宝石
2004年8月28日 狼と踊る男
そこには誰も知らない子供達がいた。戸籍の無い存在しない4人。過酷な運命を突き付けられ、叩き付けられ、それでも子供達は神様に与えられた小さな世界を生きてゆく。そこにもある小さな幸せを糧に、精一杯、今日を生きてゆく。何処までも無垢に、何処までも逞しく。あぁ、本能で人もまた生き延びるのだ。空っぽのカップメンに植えた種が芽吹くように。
しっかりと余白の設けられた映画だ。カメラはただ向こう側の子供達を追うだけで、大袈裟な演出、感情的な演出は無い。僕は何も構えずにその余白に身を委ねる事が出来た。すると、おもちゃのピアノ、マニキュア、クローゼット、キュッキュサンダル、アポロチョコ、彼方をゆく飛行機、等が発する「声」が静かに聴こえて来た。
まるで谷川俊太郎の詩のようだと想ったら、パンフレットには彼自身の言の葉が添えられてあった。この映画には結論は用意されてはいない、だからそれを当たり前のように欲する方にとても「お薦め」だとは言えない。あまりに辛く、哀しくて、悲惨な物語だ。それでもそれらを包み込む「優しさ」が全編全面に満ちていた。悲惨な映画だとは僕は想わない、これは切望の、否、希望の映画だ ―
『誰も知らない』は問う、「生きているのは、大人だけですか」。その問いかけは大人の傲慢さを踏み止まらせる一方で、何故か僕を救う…「生きているのは、オマエだけではない」。そう例えばあなたが傷つけられている事や痛んでいる事だって僕は知らない。だけれども僕がそれらを知り得たとしてどれ程の事が、出来るのか?…僕もまたそれらを抱えて生きている事をあなたも、そして誰も知らないのだ。寄り添う事が出来ないのでれば、実体の無い影をあなたの傍らに落としていたい。ゴンチチが爪弾くギターのように。タテタカコの歌声のように。

3日たってもまだ心に重い
2004年8月28日 娘2人の父
3日たってもまだ心に重いものが残ってます。娘達はかわいいさかりですが、この映画を見たことによって、父親の責任を強く再認識しました。日本中の大人がこの映画を見たら、何かが変わるような気がします。

想像力の壁
2004年8月28日 TC36
柳楽君以外の子供達の演技も素晴らしかった。演技と呼ぶのに違和感があるくらい。
映画を見終わって、自分のそして大人の想像力について考えさせられた。
実際にあの子供達を街で見かけたらどう思っただろう。臭い、とでも思っただろうか。電気を消してゴンチチの音楽とともに大画面で観て初めて感情移入する自分。
最後の出来事が、映画に出ていたあの子達に本当に起こったことではない、ということを意識的に考えて、悲しみをコントロールした。でも、実際にこういう体験をした子供達は存在する。顔を知らないだけだ。
想像力の壁。

胸が詰まる。
2004年8月28日 さくら
というのは、こういう事を言うんですね。
もっと母親が悪だったり、お兄ちゃんが無責任だったり、子供たちが投げやりだったりしたら、誰かのせいにして簡単な結論が下せるのかもしれない。
だけど、この映画で心に残るのは、子供たちの懸命さと笑顔ばかりだ。彼らの置かれた状況とその表情のギャップに、胸が痛くなる。
「やっぱり子供だな」と思わせるいじらしさと「まだ子供なのに」と思わせる強さを見事に映し出した是枝監督、そして、強烈な印象を残す素敵な目を持った柳楽くんに拍手!

音響について
2004年8月28日 tubu
誰も知らないサウンドトラックと「宝石」を聞きながら運転をしていると子供たちの表情が思い浮かんだり、実際に目に入る風景が映画のシーンのように見えたりします。高速道路を走る車がスローモーションのように見えたり、方向指示器を点滅させながら車線変更をする車が印象的だったり、対向車を運転している人のしぐさが愉快だったり、道端を歩いている人や自転車の人がいとおしかったり、特に子供が歩いていたりするとたまりません。ときに視野が広くなって今まで気が付かなかった遠い風景の構図の中にかすかに動いている人の営みが愛らしく思えます。もっと不思議なのは今見えている風景が過去の映像の記憶のように思えることです。本当は今見えていると感じた映像はすでに過ぎ去った過去のものであることに気が付きました。
もう夏の終わりに虫の声が秋を思わせる頃、飛行機の轟音や虫の声が途切れるとゴンチチとタテタカコの音楽が静かに始まり、子供たちの表情がよみがえってきます。
茂の笑顔が嬉しくて3度目のメッセージを送ります。

【このメッセージは作品の内容に触れています】
明のサンダル
2004年8月27日 ふみ
27日夜アニエスベーで行われたミニライブ&トークショーに参加してきました。直に見たタテタカコさんは、華奢なかたなのにその歌声は祈りのようにまっすぐに強く、「ボク」という歌詞の言葉がとても似合っていました。
見ている私に触れそうな近くに飛影くんが立ってる!と途中で気付いてどきどきし、愛ちゃんや萌々ちゃんまで見出してもうどうしようかと思いました。会えてとても嬉しかった。愛ちゃんと言葉を交わして握手したことも。
是枝さんはいつも通り主役側とは思えないほどさりげなくて、目がカメラ・アイみたいにすっすっとまんべんなくあたりを見ているのが印象的。あまりまばたきなさいませんよね。是枝さんの作品は最初からずっと見ています。
映画を見て以来ずうっと彼らのことを考えています。生活に立ち会って、一緒に暮らしたような気になってしまって。いくつもどきっとしたことがありました。
私は明が映画後半夏のサンダルを履いてばかりいるのは、ぐんぐん育っていく彼には今までの靴がもう合わなくて、新しく買うお金もないからあれをつっかけるしかないんだろうなと、あの全力疾走を痛ましく見ていたのです。それであのサンダル(草履)にはそういう意味があったのかどうか是枝さんに質問したのですが、やはりそうだったのですね。本当にいろんなことに目が配られているなあと思いました。
この作品は見るひとの経験によって、いろんな思いを想起させてくれると思います。痛みと、ぬくもりと。こわかったこと、嬉しかったこと、忘れていたさまざまな思い。溝から立ち上がる花にはちょっとぎょっとするほどの生命力を感じました。この映画を作ってくださってありがとうございます。教えていただいたあの公園に今度行ってみます。そして考え続けます。

リアル
2004年8月27日 イナオ
とっても深くて・・・感じたことをすべて言葉に出来ないくらいの作品でもっと冷静に見れたなあと思った。 私の息子(11)が明君に、ゆきちゃんが娘(5)に。生活が行き詰ってくるあたりから涙が止まらず一緒に観に来ていた息子を抱きしめたくなった。
帰り際に泣き腫らした目でそう話したら思いっきり拒絶。現実はそんなもの。

【このメッセージは作品の内容に触れています】
「誰も知らない」子供たち
2004年8月27日 こなつ
事前にテレビ等でたくさん情報を仕入れた上で見てしまったこの作品。それでも彼らのひたすら母を信じて生きる姿に心を打たれました。
明は違う姓を名乗る母親にどれほど心を痛めたことでしょう。いくら待ってももう母は帰って来ないということはもちろん、このまま兄弟で暮らしているより誰かに助けを求めた方が一人ひとりは幸せになれるということも、明には何もかも解っていたのではないかと思います。それでも幼い弟妹たちを必死で守っていたのは、母が明に寄せた信頼と、父親の違う四人兄弟の強い絆がそうさせたのでしょう。
段々と汚れていく部屋、服、そして泥だらけの子供たち。それでも最後まで彼らの心は汚せなかったのでしょう。幸せな家庭に産まれ育ったであろう彼ら役者たちが、あんなにも切なく哀しいまでに一途な表情を見せたことには、監督の力量を感じずにはいられませんでした。
アポロを見る度にゆきちゃんの小さな歯がこぼれる笑顔を、カップラーメンを見る度にしげるの大声を、赤いマニキュアを見る度に京子ちゃんの寂しげな笑顔を思い出すでしょう。そして毎朝乗る羽田行きの電車の中で明を探すでしょう。「誰も知らない」子供なん
て、いてはいけないのです。

昨日、
2004年8月27日 K
渋谷の映画館で彼氏と一緒に見ました。見た後、彼氏をギューっとしたくなるような映画でした。

日だまりの中のこどもたちのシーンが大好きです
2004年8月27日 てふてふ
ココの存在を知らず、某映画サイトに書き込んだ感想なのですが・・・。映画を見て一番に思ったことなので、同じものを書き込みます。
こどもたちだけの生活があまりにキラキラしていて、
余計に大人たちの残酷さを感じた。
羽田のシーンで、明の震える手が映った時、
抱きしめてあげたいという衝動にかられた。
そうしたら、サキちゃんが明の手を
キュッと握ってくれた。
心がホッと救われた。
|
 |