MESSAGE

イラクの人々の暮らし。そして、その上に降るアメリカの爆弾を想像する。

2003年3月22日

今朝、ブッシュ大統領の演説を聞きました。「あいつらはアメリカを憎んでいる。何をするかわからない。だから先制攻撃をするのだ」という、法律的に言っても何の正当性もない、暴力の自己正当化だと思いました。「目つきが気にいらない」と言ってケンカを仕掛ける駅前の不良以下です。こんなことで戦争を始めてしまうのか!という驚きと、それを誰も止められないということに対する怒りで、今はいっぱいです。
さらに問題だと思ったのは、そのアメリカの姿勢に、無批判に追随する日本政府の自主性のない態度です。今日(3月18日)の朝日新聞の夕刊に池澤夏樹さんが書いていましたが、そこには徹底的にイラクの人々に対する想像力が欠けているのだと思います。アメリカの姿勢を肯定したり、「北朝鮮問題を考えたらやむを得ない選択だ」などと容認すること、それを「大人の態度」だと支持すること、そして何も言わないこと。それらの人々は自分が今回の戦争に対して「加害者」の側に立つのだ、という自覚をしなければならない。

その自覚を踏まえて、自らの生活を生きなければならないと、思います。

僕は映像を作ることを業(なりわい)としている人間なので、その、映像を作ることを通して社会や世界と関わり、人の想像力に働きかけたいとずっと思っています。
それはこれからも変わらない、決意のようなものです。
だからここで「自民党政権打倒!」とか「反米!」を声高に叫ぶつもりはありません。あえて言葉にするとすればそれは「想像力を持とうよ」という内面的なメッセージになると思います。
ただ、ひとりで想像しているだけでは現実の社会は変わっていかないのではないか?
というあせりにも似た危惧を抱いているのも確かで(それは戦争をしたがっている人々のほうが、より積極的に現実にかかわろうとしているからですが)、その想像力を、国境を超えて組織化していく、連帯していく必要と可能性があると思っています。
その時に「映画」というものが、その接着剤になれればと思うのです。相互理解の。

僕は青臭い理想主義者なので、戦争というものの存在自体に反対ですし、日本においては軍隊(自衛隊)の存在自体、憲法違反だと考えています。
日本のようなアジアの小国が、それでも世界に対して意義のある存在になるためには、被爆国であるという経験と、アジアを侵略した過去に対する反省を踏まえて、徹底的に「非戦」という態度をつらぬいてみせる、そこにしか21世紀の日本がオンリーワンの存在になり得る可能性は残されていないと思っています。

そんな夢を見続ける為には今の日本の様々な状況に徹底的に絶望することが必要だと思います。失われた20年どころか、戦後民主主義のあり方から問い直さないと…と個人的には考えています。そこからしか「出発」は始まらないと思います。

さて・・・御無沙汰していました。現在僕は制作中の新作『誰も知らない』の撮影準備で忙しい毎日を送っています。完成は今秋になりそうです。今夏にはプロデュースした2本の映画 『カクト』 と 『蛇イチゴ』 も、渋谷シネ・アミューズを皮切りに全国公開される予定です。今から楽しみです。

『誰も知らない』完成後、僕は恐らく 『花よりもなほ』 という時代劇の制作に入ると思います。これは「復讐」をテーマにした娯楽大作(!?)です。
その先は・・・まだわかりません。
ただ、作り続けていく。作り続けていくことで自らの想像力と、観てくれる人々との想像力に働きかけ、揺さぶり、豊かに出来れば、と、それだけは変わらないと思います。

えーと。しばらくお休みしていたホームページの<お便りコーナー>を再開しようと思っています。映画のこと、そして、最近自分が考えていることを、出来るだけこの場所を使って、公開していこうと思っています。よろしくお願いします。お便り、お待ちしています。

それではまた。

是枝裕和