こまば東大前のアゴラ劇場で『夏の砂の上』というお芝居を観て来ました。大変面白かったです。作・松田正隆、演出・平田オリザというコンビの作品。おふたりとも偶然僕と同い歳の1962年生まれなんですね。
人が生きていく上で、否応なく出会う死、別れ…。そして、そのことをやがて忘れて生きていく残された人々の生。松田さんの作品はいつも「忘却」というものをめぐって物語が展開されることが多く、興味深いです。彼の出身である長崎を舞台にした今回の作品にも少しだけ台詞として表面化されるのですが、その根底には、原爆を忘れ去ったあとに営まれている自らの生というものに対する、鋭敏な視線が常に存在しているのがわかります。台詞の推敲のされ方が本当に見事で、全く無駄がない、緊張感に満ちたお芝居でした。
「この世の中で、いま私たちにできること。それは、それでもなお、演劇をつづけるということ。それぞれが、それぞれの場所で。演劇はつづく、演劇は世界をゆるやかに変える。」
会場で配布された劇場案内のチラシにそんな言葉が記されていました。たぶんこれは平田オリザさんの言葉なのでしょう。「それでもなお」という表現の中に、平田さんの現状認識の厳しさが示されていると思います。それと同じ認識を僕も恐らく共有しています。
では「演劇」を「映画」という言葉に置き換えて最後の一文を読んだ時、そこに込められた気概も又、共有できるだろうか?と自問自答してみます。
「映画は世界をゆるやかに変える」
うーん、確かにその通りだとは僕も思っています。だからこそ作り、そして劇場で公開しようと思うわけですから。ただ僕がもし自分で書くとすると、たぶん「世界」という言葉は使わないのではないか?
「映画は“人”をゆるやかに変える」その結果として「世界はゆるやかに変“わ”る」。
うん、これならしっくりくるか…。ただ、ここで問題になってくるのは、そのゆるやかさのスピードのことなのです。つまり、もうひとりの自分が耳元で叫ぶわけです。「そんなのんきなことを言っている間に世界は壊れてしまうぞ!」と。そんなあせりが自分の中にあるのも又事実なのです…。困ったものですが、これはもう性みたいなものなのでひきずっていくしかない。ひきずっていくなら、その「あせり」も、作品という形にして出せばいいじゃないか…と。
そんなこんなで、果たして次に何を作るのか…そろそろ方向を定めないといけません。
さてさて…
『誰も知らない』は完成しまして、今、英語字幕を入れたり、ポスターのデザインを考えたりと、楽しい作業に入りました。そうそう、間もなく発売になるゴンチチさんのニューアルバム『ゴンチチ・25th アニバーサリーCD』の中に、今回の映画『誰も知らない』のテーマ曲もボーナストラックとして含まれています。
映画の公開まではまだ少し時間がありますが、もし良かったらお聴き下さい。とってもステキなアルバムです。
そして、11月から12月にかけて撮影していたネスカフェのコマーシャルも先日完成しました。これは「朝のリレー」という谷川俊太郎さんの詩と、人々の寝顔だけで作られた60秒のCMです。これは元旦から放送になるそうですので、こちらも楽しみにしていて下さい。
「よいお年を」と、そんなあいさつをするのが、どうしても気がひける。憲法など存在していないかのような拡大解釈と意図的な誤読の末に、アメリカにひきずられるように「戦争」に参加し、日本の軍隊が海外で他国の人々を殺したり殺されたりする―――そんな2004年にならない為に、自分にできることをひとつでもみつけたいと、そして実践したいと本当に思います。
それではまた、よいお年を。
是枝裕和