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考えることなど。この・・・8月15日という日に。

2004年8月15日

『誰も知らない』、無事初日を迎えてから1週間が経ちましたが、相変わらず連日立ち見の盛況が続いております。ありがとうございます。ホームページに寄せられた感想も、とてもうれしく読ませていただいてます。と同時に、わざわざ劇場に足を運んでいただいたのに入れなかった多くのみなさん!本当にごめんなさい。これに懲りずに是非又いらして下さい。他の映画を観に行って、終わりにしたりしないで下さいっ!!また来週には劇場も増えますので、少しずつ、観やすくなっていくと思いますから。

「自閉」という言葉について
6月に朝日新聞紙上にマイケル・ムーアの「華氏911」をテーマにしたカンヌ映画祭報告の文章を執筆しました。その中で「華氏」についての自分なりの批判と評価を述べつつ、積極的に「現実」や「世界」と関わって行こうとする彼の姿勢との対比として、日本のドキュメンタリーはジャンルに自閉してしまっているのではないか?と自戒を込めて書きました。この「自閉」という言葉の使い方に対して、自閉症のお子さんを持つご家族の方から、言葉の使い方が不適切ではないか?というご指摘をいただきました。僕自身はもとより「自閉症」との関連で「自閉」という言葉を使ったつもりはなかったのですが、ひとつ誤解があったのでここに記します。僕は「自閉」「自閉的な」という言葉が先にあり、そこから「自閉症」という言葉が派生したのだと思い込んでいたのですが、違いました。先日対談をさせていただいたときに精神科医の斎藤環さんにお伺いしたところ、「自閉」という言葉は総合失調症の症状の最終段階の状態を指す言葉として生まれ、そこから「自閉症」や、医学用語から離れた「自閉的な」という表現が派生的に生まれたのだ、ということでした。勉強になりました。そして、ここまで理解した上で言葉を使っていなかったことを反省しつつ、より慎重に「自閉的な」という言葉を使っていかなくてはいけない、と思っています。ご指摘頂いた方、教えていただいた斎藤さん、ありがとうございました。

憲法「9条」について
放送は来年になりますが、憲法についてのテレビ番組を作ることになりました。6回シリーズで各ディレクターがそれぞれ1条ずつ憲法の中から選んで、それをテーマに60分の番組にします。詳細は未定ですが、僕は「9」をやります。
自分の中にある「君が代」や「日の丸」や「自衛隊」というものに対する違和感、わだかまりをもう一度みつめ直してみようと思っています。そんなこともあって今日、靖国神社と千鳥ヶ淵にビデオカメラを持って行って来ました。雨が上がった靖国神社は参拝客でにぎさっていましたが、千鳥ヶ淵は驚くほど人が少なくてショックでした。そこに小泉純一郎からの献花が備えられているのが、何か場違いというか・・・正直言うとバカにされているような気がしてしょうがなかった。
「不戦の誓いを堅持する」と語る小泉と、「天皇も来年は靖国参拝を」と中国に対して「民度が低い」と先日発言したのと同様確信犯的に物議をかもす発言を繰り返す石原と。どちらがより嫌いか・・・。どちらがより不誠実なのか?指導者としてふさわしくないのか?本当にこんな政治家たちしか日本にはいないのか?
あきらめている場合じゃない。彼らのこういう態度に傷ついている人たちが山ほどいるのだということを忘れちゃいけない。ため息をついている場合じゃないのだと再び自戒しつつ、自分の中にある「怒り」を表現として形にする為にこれから半年間頑張ろうと思います。
ではまた。

是枝裕和