僕がこの仕事を選ぶ大きなきっかけになったのが、学生時代に出会った村木良彦さんと、彼が、その後共にテレビマンユニオンを設立することになる萩元晴彦、今野勉と3人で書いた『お前はただの現在に過ぎない』という一冊の本でした。そこにはテレビに関わる人間が、テレビというメディアと正面から向き合い、その可能性を問い詰め、テレビが、そして自らが内包する保守性と闘う姿が記されていました。それは村木良彦の青春の記録であり、またテレビそのものの青春の記録でもあったのだろうと思います。
村木さんは常に穏やかで、理知的で、優しかった。大学生の僕に彼の姿は(これが大人の男か…)と、本当にまぶしく映ったものです。とにかく格好よかった。
テレビは映画のように監督の作家性に閉じるものではない。それこそがテレビのオリジナリティなのだ。映画が楽譜のあるクラシックならテレビはジャズなのだ。流れ消えていく、視聴者と共有される時間なのだ――『お前はただの現在に過ぎない』には確かそのような記述がありました。僕が作り手としての一歩を踏み出した時、テレビが方法論を問う時代はすっかり過ぎ去っていましたが、僕はそれでも遅れて来た青年として村木さんたちの言葉を頭と身体の中で繰り返し問いながらテレビ番組を作って来ました。僕が軸足をテレビから映画にずらし始めた頃。一度、そのことについて村木さんとお話したことがあります。
精神的には村木さんの弟子だと勝手に自負していた僕が、テレビから映画に、匿名性から著名性に移行したことをどう思われているか正直気になっていたからです。彼はいつもの笑顔で僕のスタンスの変化を優しく肯定してくれました。そして作品を観ると必ず誉めてくれました。最後に必ず「次はどんなものを…」と、常に次を期待してくれました。
突然、本当に突然に、もう誉めてもらうことも、次の作品を観てもらうこともかなわなくなってしまいました。
彼が、彼らが、『お前はただの現在に過ぎない』を著した年齢を、僕はいつの間にか通り過ぎてしまいました。
「テレビに何が可能か?」――村木良彦が問い続けたこの問いを、僕は20年かけてどのくらい問えたのだろう… そう考えると、心もとない、申し訳ない気持ちでいっぱいになります。
今、取材をしている歌手のCoccoさんが、よくトークの終わりに「だから唄います」と客席に向かって語ります。自分の力のおよばなさや、どうしようもない現実、大切な友人の死等に出会った時に… それでも自分は歌を唄うことしか出来ないからと顔を上げ、「だから唄います」、と。僕は、この言葉が「だけど、唄います」ではないところが彼女の強さであり素晴らしさであるような気がしています。
僕が、文字通り恩師である村木さんに、村木さんの投げ掛けた問いに少しでも応える為には、やはり、彼女が言ったと同じ強さでこう言うしかありません。
「だから、映画を、テレビを作ります」。
是枝裕和