MESSAGE

「invisible」という言葉を巡って
——第71回カンヌ国際映画祭に参加して考えたこと——

2018年6月5日

2人の監督

 「インビジブル ピープル」と審査員長のケイト・ブランシェットは授賞式の冒頭で口にした。その存在に光を当てることが今回の映画祭の大きなテーマだった、と。隣に座った通訳を介して日本語に翻訳してもらいながらだったので内容は大まかにしか把握できなかったが、その「invisible」という言葉だけはずっと頭に残った。確かに『万引き家族』で僕が描こうとしたのも普段私たちが生活していると、見えないか、見ないふりをするような「家族」の姿だ。その生活と感情のディティールを可視化しようとする試みが今回の僕の脚本の、そして演出の柱だったとケイトさんの言葉に触れて改めて思い出した。そして、そのスタンスは14年前の『誰も知らない』とも通底している——と、自分では今回の作品を分析していた。なので名前を呼ばれて壇上に向かいながら、このスピーチでは「invisible」なものについて触れようと考えていた。
 僕はこの場で感じる「希望」と「勇気」について触れたあと、その2つを分かち合いたい対象として2人の監督を挙げた。作品がコンペに選ばれながらもこの映画祭に参加できなかったキリル・セレブレンニコフとジャファール・パナヒである。
 しかし、具体的な名前を口にはしなかったので、(それ以前の受賞者のスピーチで充分名前は伝わっていると考えた)ある日本の新聞には僕がここで触れた2人の監督は、イ・チャンドンとジャ・ジャンクーのことだと誤読した記事も出た。授賞式直後、日本のメディアの囲み取材で僕が同世代の尊敬するアジアの監督として彼ら2人の名を挙げたからだ。2人がいるから、自分も映画と真摯に向き合えるのだ、と僕は話した。彼ら2人も今回は式の会場にはいなかったから、余計誤解が生じたのだろう。恐らくその記者が授賞式の様子を見ていたのは僕らがいたリュミエール会場ではなく隣接する別の会場だったはずだから仏語の充分な翻訳もかなわなかったはずである。
 齟齬とはこのように対面ではない環境の中でより多く起きるのだと思う。しかし、映画祭のように様々な言語が飛び交う場ではある程度の行き違いは許容していかないといけない。 “鈍感力”が必要になるのである。もちろんその齟齬は少ないに越したことはないわけであるから映画に付ける字幕翻訳のニュアンスの精査と現地での通訳は可能な限り優秀な人にお願いすることにしている。

通訳と翻訳

 僕の場合、フランス語に関してはもうこの5年同じ方に字幕も通訳もお願いしている。(余談になるが、この女性、僕のとりとめもない話を聞きながら一切メモを取らない。「メモを取るとどうしてもそれに頼ってしまうので」と話されていたが、フランス語の全くわからない僕のような人間にも、彼女の話ぶりと聞き手の反応から彼女が通訳としていかに優秀かは理解出来る。不思議なものである。)
 5月13日に公式上映があり、翌日からは彼女とフランスの媒体の取材をまとめて受けた。この日の朝のプレス試写を受けて、その後取材のオファーは激増した。映画にとってはとても良いことである。14日でフランスの取材を終え、15日と16日がインターナショナルの取材に当てられた。この2日間は英語の通訳に入ってもらい、朝10時から18時まで恐らく150人を超える記者の取材を受けた。こちらの通訳の方も大変優秀。ただ、話す時に身ぶり手ぶりが加わって何となく僕の言葉が少し(監督らしく)盛られて伝わっている印象を持った。ふたりの間にもうひとり、目には見えない監督がいる感じである。やや、こそばゆい。取材に来る各国の記者たちも基本英語で質問する。1対1ではない。いわゆる8人程度の囲みというやつで、グループに与えられた30~40分の間、記者が挙手をして自分の聞きたいことを思い思いに“英語”で質問するのだ。この囲み取材、答えるのが本当に難しい。なぜならそこに1対1の対話から生まれる“流れ”とか“深まり”とか、つまりは答えから次の質問が生まれて掛け合いになっていくダイナミズムが生じにくいからである。記者たちも別の記者が質問し、僕がそれに答えている質疑を含め、あたかも自分が全て聞いたかのようにひとつのインタビューとしてまとめるのが通常の形である。ここでは当然記者の力量が問われるし、力の差(語学力だけではなく)が露わになる。
 さて。今回、この囲みに少なくとも2人の韓国の記者がいた。何でわかったかというと2紙とも日本語版というのがあってネットに流れて来たからである。そのうちのひとつの記事は「血が混ざってこそ家族なのか、日本の家族は崩壊したが…」という見出しだった。「血が混ざって」という表現が一瞬理解出来なかったのだが、「あぁ『血縁』のことだな」とすぐに合点がいった。確かに「血ではないものでつながった家族を描いてみたかった」という趣旨の話はしたからだ。ただしかし、この僕の「血縁」という日本語が→英語になり→それを聞いた記者(もちろん英語が母国語ではない)が韓国語に訳し→それがもう一度日本語になる。という伝言ゲームのようなプロセスを繞ると、これだけニュアンスが変わるのだということに改めて驚かされた。読み進めていくとこの記事の中には他にもいくつか首を傾げざるを得ない表現が散見された。例えば、僕は自分が描く対象を「代表的な例だ」とは決して言わない。言葉の解釈の幅は様々あるだろうが単純に自分が使わない言葉が文脈上にある場合は日本の取材でも直せれば直すのだが、今回はそうもいかない。
 この取材の中で「何故社会からこのような“不可視の”家族が生まれると思うか?」と作品の背景としての社会的、政治的状況を聞かれた。その告発を目的とした映画ではないことを前提に自分の考えを述べた。あくまで私見としてではあるが。今回僕が話したのは「共同体」の変化について、であった。日本は地域共同体が壊れ、企業共同体が壊れ、家族の共同体も三世代が一世代、単身者が増えて脆くなっている。この映画で描かれる家族のひとりひとりはこの3つの共同体「地域」「企業」「家族」からこぼれ落ち、もしくは排除され不可視の状態になっている人たちである。これが物語の内側。そして孤立化した人が求めた共同体のひとつがネット空間であり、その孤立した個を回収したのが“国家”主義的な価値観(ナショナリズム)であり、そこで語られる「国益」への自己同一化が進むと社会は排他的になり、多様性を失う。犯罪は社会の貧困が生むという建前が後退し、自己責任という本音が世界を覆う。恐らくあの「家族」はそのような言葉と視線によって断罪されるだろう。…ということも話した。これが背景。これは『映画を撮りながら考えたこと』という拙書でも既に述べている考え方である。まぁそれほど目新しいものではないだろうことは自覚しているが。
 このインタビューではドイツの戦後補償の話を僕が突然したような流れになっているが、これは共同体の話のつながりでEUの話になり、その流れで、ドイツがEUの中で占めている立場、果たそうとしている役割を日本が「東アジア共同体」の中で果たそうと思った時には、やはり過去の歴史ときちんと向き合って「清算」しないといけないのではないか、という説明を加えた。「謝罪」という単話は明らかにその翻訳のプロセスで後から加わったものだろうと思う。「補償」というのが僕の口にした言葉の何の翻訳なのかは、正直良くわからない。民主主義が成熟していく為には、僕は定期的な政権交代が必要だと考える人間のひとりである。何故なら権力は必ず腐敗するからである。それは映画監督という「権力」を手にして痛感していることでもある。目くそと鼻くそでも、交代させながら主権者である私たちが権力をコントロールしていくことによって民主主義は少しずつ熟度を増していくだろうと思っている。その政府が保守だろうがリベラルだろうが政権が変わらないと思ったら皆がその権力を忖度し、志のないジャーナリズムはチェックを忘れ広報化する。それは主権者にとっては不幸だという話をした。まぁこれは余談の部類。そのような説明が短くまとめられた時に色々省略されて (安倍政権が続いて私たちは不幸になった)というやけに単純化されたものになっていた。正直驚いた。

井戸

 この記事の翌日に実はもうひとつ韓国紙の記事が出た。多分同じ日の別グループだったと思う。こちらの見出しは「壊れた家族にこだわる理由とは」というもの。「壊れた」という言葉のオリジナルは恐らく「欠損」だろうと思う。これはそれ程遠くはない。記事を読み進めていくと、これは納得の翻訳と構成でとても囲み取材をまとめたとは思えないクオリティーだった。何より印象に残ったのは「映画が絶望と痛みという井戸から汲み上げられるものならば、私はその井戸を家族に求めている」という一文。素晴らしく文学的な表現なのだが実は僕は全くこんなことは話していない。家族を井戸に例えるというような比喩がそもそも僕の中に教養としてもボキャブラリーとしても残念ながら存在していない。この表現が、通訳をしてくれた方のものなのか、記者自身のものなのかはよく分からない。が…こっちも正直驚いた。こうして韓国紙を巡る「齟齬」について書くと、一部のネットの人たちが「ほらみろ!」と騒ぐかもしれないけれど、たまたま日本語版が出ていたから目にしてわかっただけの話で、このくらいのロストイントランスレーションは至るところで起きていると思ったほうがいいのだ。ネットで切り取られた言葉が拡散されていくプロセスで生じる齟齬(意図的なのかどうかわからないが)のほうがよっぽど酷いという実感を持っている。例えばこの韓国紙に掲載された僕のインタビューが「授賞式で日本批判のスピーチをした」ことに変質するまで一週間もかからなかった。その数日後には「受賞スピーチでも日本は南京虐殺について中国に謝れ」と発言したことになっている。動画だってあちこちにアップされているのだからチェックすればいいのにと思うが、どうやらそういうメディアではないらしい。だとしたら、こんな誤読をいちいち否定して回っていてもキリがない。まあ忙しくて対応出来なかったというのが正直なところだけれど。

水と淀み

 このことをきっかけにネット空間を往き交う言説にちょっと注意深く目を向けて見たのだが「血が混ざる」という見出しの不自然さから、これが翻訳を繰り返された果てに辿り着いた表現であるということに気付き、指摘した人は僕の知る限り皆無だった。残念だった。何処かで誰かがその誤謬に気付き、立ち止まって考え、例えばオリジナルにあたってみる努力をするとか、どのような経緯でこのような発言が生まれたのか?遡って言及する人がいないか?と期待していた。このインタビューが掲載されて5日ほど経ってから、ひとつのツイートが目にとまった。その人はこのひとつ目の記事の文脈の乱れに多少疑問を抱かれたようで、本当に是枝はこんなことを言ったのか?ドイツの補償の話が唐突すぎないか?という正しい疑念を持たれていた。
 記事が出てさらに一週間経った時、建設的なコミュニケーションへの発展を感じられる言葉に出会うことが出来た。そのツイートは先程僕が取り上げた共同体についての言及を拙書から引用する形で是枝が言おうとしていることはこういうことではないか、と思考してくれていた。ありがたかった。主観的な捉え方だがただ流れていく〈現在〉でしかないネット空間に一瞬が出来たような気がした。淀みが出来ると人は初めて水を意識する。その意識が堆積して、初めて「知」に繋がっていくのではないかと思った。そう思って、この「invisible」を巡る文章を時差ボケの頭を叩き起こしながら書いてみることにしたのだ。つまり水を可視化してくれたことへのお礼である。
 正直な話、ネットで『万引き家族』に関して作品を巡ってではなく飛び交っている言葉の多くは本質からはかなり遠いと思いながら、やはりこの作品と監督である僕を現政権(とそれを支持している人々)の提示している価値観との距離で否定しようとしたり、逆に擁護しようとしたりする状況というのは、映画だけでなく、この国を覆っている「何か」を可視化するのには多少なりとも役立ったのではないかと皮肉ではなく思っている。1本の映画がそんな役割を社会に対して果たせるなんて滅多にないことですから。既存のテレビメディアには映画をワイドショーのネタとして扱う枠しかほとんど残っていない今の状況に比べると(もちろんワイドショーのネタになったり、新聞の文化面でなく社会面で取り上げて頂くことは、映画が人目に触れる大きなチャンスであることは疑いようがないが)、自分から情報を拾いにいく覚悟さえあれば、新聞の映画評以上に長文の充実した考察に出会える可能性もあるわけであるからもう少しこのネットの空間、言説には興味深く注視してみようかという気持ちになっている。
 もしも、この韓国の2人の記者に再び会うチャンスがあった時に僕は一体どのような対応をとるのか?ひとりには翻訳による誤解を正し、次のインタビューの時にはいい翻訳家に頼むか、英語を介さず韓国語と日本語だけで質疑が済むようにお願いすること。そしてもうひとりには「井戸」ってあなたが考えたことなの?とても素晴らしいから僕自身の表現として使っていい?と逆に提案すること。この2つである。

メッセージと怒り

 映画監督なのだから政治的な発言や行動は慎んで作品だけ作れというような提言?もネット上でいくつか頂いた。僕も映画を作り始めた当初はそう考えていた。95年に初めて参加したベネチア映画祭の授賞式でのこと。ある活動家らしき人物がいきなり壇上に上がり、フランスの核実験反対の横断幕を掲げた。会場にいた大半の映画人は、立ち上がり拍手を送った。正直僕はどうしたらいいのか…戸惑った。立つのか立たないのか。拍手かブーイングが。この祭りの空間をそのような「不純な」場にしてもいいのか?と。しかし、23年の間に気付いたことは、映画を撮ること、映画祭に参加すること自体が既に政治的な行為であるということだ。自分だけが安全地帯にいてニュートラルであり得るなどというのは甘えた誤解で不可能であるということだった。
 映画祭とは、自らの存在が自明のものとしてまとっている「政治性」というものを顕在化させる空間なのである。目をそむけようが口をつぐもうが、というかその「そむけ」「つぐむ」行為自体も又、政治性とともに判断される。しかし、このようなことは映画監督に限ったことではもちろんなく、社会参加をしている人が本来持っている「政治性」に過ぎない。日本という国の中だけにいると意識せずに済んでしまう、というだけのことである。少なくともヨーロッパの映画祭においては、こちらの方がスタンダードである。今僕はその“しきたり”に従っている。もちろん公式会見や壇上のスピーチではそういった行為は避ける。「作った映画が全てだ」という考え方がやはり一番シンプルで美しいと思うから。しかし、これは個人的な好みの問題でしかない。個別の取材で記者に問われれば、専門家ではないが…と断りを加えた上で(この部分は大抵記事からはカットされる)自分の社会的・政治的なスタンスについては可能な限り話す。そのことで自分の作った映画への理解が少しでも深まればと思うからである。これを「政治的」と呼ぶかどうかはともかくとして、僕は人々が「国家」とか「国益」という「大きな物語」に回収されていく状況の中で映画監督ができるのは、その「大きな物語」(右であれ左であれ)に対峙し、その物語を相対化する多様な「小さな物語」を発信し続けることであり、それが結果的にその国の文化を豊かにするのだと考えて来たし、そのスタンスはこれからも変わらないだろうことはここに改めて宣言しておこうと思う。その態度をなんと呼ぶかはみなさんにお任せいたします。

映画という共同体

 受賞後の興奮と喧騒の中でパルムドールのトロフィーを持ったまま数えきれない取材を受けた。その中で1人、フランス人の女性インタビュアーのラジオ番組の取材を受けたのだが、彼女は執拗にこの映画が何を告発しようとしているのか?と質問の形を変えながら食い下がった。その目的が分かるといつも「映画は何かを告発するとか、メッセージ伝えるための乗り物ではない」という話をして終わりにするのだが、今回の記者はそれでも引き下がらない。こういう時はむしろ〈リベラル〉と日頃呼ばれている新聞、雑誌の方が頑なである。作品から作者の何らかのメッセージを受けとり、それを拡散することが私たちの使命だと考えている人が多い。本当に厄介である。本人たちはいたって真剣だし、傾向としてはもしかしたら近い思想信条に立っているのかも知れないが、作品をメッセージを運ぶ器だとしか考えない態度からは、恐らく作品を介して豊かなコミュニケーションの広がりは望めない。こうなったら意地でも告発とかメッセージについては言及を回避する。今回もそうした。結局不満そうに彼女は帰っていったけれど。
 僕は何かを誉めそやしたり批判することを目的に映画を作ったことはない。そもそもそんなものはプロパガンダに過ぎない。外国人観光客を日本に誘う為のインバウンド効果を競うわけではないので、「日本すごい」をアピールすることを目的にしたものなど、そもそも映画とは認められないし、逆に社会や政治状況の「酷さ」だけを晒そうと目論んだものは「貧困ポルノ」という言葉でやはり批判をまぬがれない。映画祭とはそういう場所である。
 今回の『万引き家族』は喜怒哀楽の中でいうと〈怒〉の感情が中心にあったとプレスやパンフレットには書いている。だから余計に何かを告発した映画だと受け取られたのかもしれない。ただこの怒りというのは、例えばマイケル・ムーアが『華氏911』でブッシュを、スパイク・リーが今回の新作の中で展開している(らしい。未見)トランプを批判しているようなわかりやすいものではない。作品内にわかりやすく可視化されている監督のメッセージなど正直大したものではないと僕は考えている。映像は監督の意図を超えて気付かない形で「映ってしまっている」ものの方がメッセージよりも遥かに豊かで本質的だということは実感として持っている。
 授賞式後にスタッフと一緒に参加した公式のパーティーは至福の時間だった。コンペの監督と審査員の間にそれまで存在していた壁が取り払われ、その場は映画への愛情だけで繋がった人々がにこやかに和やかに映画について言葉を交わす。映画の中の「見えない」花火についてドゥニ・ヴィルヌーヴ監督やチャン・チェンと話す。この瞬間はもう無礼講で、スタッフもケイト・ブランシェットやゲイリー・オールドマンと写真を撮りまくっていた。
 地域共同体、企業共同体、家族共同体の崩壊の話はそのあとでどこへ進んでいくか?現地の取材では今回は時間が足りなくてそこまで話を進められなかった話題について触れて、この考察を終えようと思う。僕自身は実はこの3つの共同体のどれにも強くは魅かれずに生きて来た人間である。少なくとも、この共同体への帰属からの離脱が個人にとって不利益に働かない社会を〈リベラル〉であると考えてきた。そんな自分がこのカンヌ映画祭に参加をして強く思ったのは自分という存在が100年という、そう短くはない歴史を背負って流れている映画という大河の一滴であるという感覚だった。それは文化や国や言語の違いを超えて映画だけで人と人が繋がっている場であり、時間であるということだった。これは驚きであり、大きな喜びであった。つまり、カンヌへ来て自分が所属しているまさにinvisibleな映画の共同体というものが淀みとしてはっきりと可視化されたのである。私は、ひとりではない。こうして言葉にしてしまうと恥ずかしいようなシンプルな感慨が波のように押し寄せてくる。その波によって乾いた砂浜が、潤い、満たされる。この映画祭という場所で僕が感じる豊かさの源は、ライトに照らされたレッドカーペットの上の華やかさではなく、この「invisible」なつながりを実感できるという、そのことに尽きるのである。

是枝裕和