2001年6月19日・シネマライズ
6月19日 最終回上映終了後、シネマライズにおいて『ディスタンス』の第2回ティーチ・インが催されました。 おいでになれなかった方のために、このサイト上に採録します。
是枝 :たくさんお集まりいただきましてありがとうございます。今回は伊勢谷君が来てくれました。『ワンダフルライフ』の時にもこういった形で皆さんから質問をいただいて、僕たちがそれに答える、という形でやってきました。劇場を出た後で映画のことを考えたり、膨らませたりするいいきっかけになれば良いなと思い、今回も行うことになりました。
女性1 : 2回観たけどわからないところがありました。最後に写真を燃やしていたのは誰ですか?
是枝 : 今回の映画は物語を全部明らかにはしていなくて。表の物語・・・映画の中で描かれている物語では、全部はわからないと思うんですね。あとは想像で埋めていくような形でやっています。映画を作るプロセスでも、その人物がどういう存在で、どういう生い立ちがあってというのは、綿密に打ち合わせはしています。しかしそれをセリフにしてしまうと、固まってしまって面白くないので、こういうシュチュエーションでこういうキャラクターで、というのを役者さんたちに納得してもらって、あとはご本人に任せて動いてもらったり、しゃべってもらったりしています。だから演じているって感じはないのかな?
伊勢谷 : 僕のパートはその場所にいて、あんたらどうするのかなっていう状況で演技があっただけで・・
是枝 : ほぼ思いどおりにしゃべって動いている?
伊勢谷 : はい。
是枝 :そこでは、物語をわかりやすく説明するための演技をお願いしてないんです。その結果、一見わかりにくい物語になってるんだけど、僕としてはそこで物語のわかりやすさを優先するんじゃなくて、そこに登場する人達の気持ちや感情がきちんと伝わればいい、という気持ちで作ってます。前置きが長くなりましたけど。
伊勢谷 : 言えませんってことですか(笑)
是枝 : あんまり謎解きの映画にしたくなかったんだけど・・。あれはARATA君が演じた青年のお父さんです。
女性1 : なぜ写真を燃やしたんですか?
伊勢谷 : なぜ燃やしたかわかる人。(観客にきく)
女性2 : あっちの世界に教祖の世界に入るから、俗世間とか全部捨てたかったから、家族の写真とか燃やしたんじゃないですか?
伊勢谷 : 僕も賛成です。僕も自分のパートしか知らなくて、あのシーンについては知らされてなかったので、最初に見た時にこういうストーリーなんだと初めてわかったんで、そう思いました
男性1 : 教祖ではないんですか?
是枝 :教祖です。そうじゃない受け取り方もあるとは思います。
男性1 : 3回目で教祖だとわかりました。
伊勢谷 : そう。何回か観るとわかってくることもありますよね。
是枝 : 回数観るとわかるというのは僕としては良いんだけどお客さんは大変だな(笑)。ARATA君にはお父さんが教祖だという設定を説明した上で演じてもらっています。でも演じている間はそのことを伊勢谷君とか、寺島さんとかには話さずにいてもらってるんです。他の役者さんは自分のプロットだけ渡されているから、伊勢谷君にとってはARATA君の役は教団に入った姉さんの弟ということで、撮影中も、完成するまでも、そのままの状態で接してもらってるんです。その辺でちょっと普通と違う作り方をしつつ、登場人物5人の緊張感みたいなものを生んでいこうと思ったんですけど。写真を燃やしたのは、教団を作るというか、向こう側に行くために実際の家族を否定していくことの象徴としてそういうシーンを入れました。
男性2 : 映画を作る時に、自分のシュチューションとかは、綿密にミーティングして対話させるという方法論だったということですが、例えば共有された体験については、どういう風にシェアしていたのか。集団経験と個人の体験と、あるいはその関係における体験をどの程度準備していたんですか?
是枝 :彼等は事件後初めて会って、会うのはあの旅が3回目です。「3回目程度」の情報をお互い共有する感じです。年に1回会う、3回目程度のお互いの距離感がどんな感じかなと思って、僕も探りながら作りました。だからこんな感じになっています。そこに至るまでのその人の経験は、個別にかなり綿密に、何年生まれで、どういう生い立ちで、どういう結婚をしてまた別れて、あの事件のことを自分の中で消化したり、どう引っ掛かっているのか、というのはミーティングを重ねています。伊勢谷君の場合は兄にどういう感情を持っていたのか、または持っていなかったのか、というようなことを時間をかけて一緒に作りました。ただ、ここ(伊勢谷、是枝間)でどういうミーティングをしたのかは、ARATA君も知らないし、夏川さんも知らない。セパレートにやったものを年に1度の旅で1つに束ねているという感じです。
男性2 : 伊勢谷さんとお兄さんが話すシーンで次元の違う演技に見えたんですけど。
是枝 : 次元が違うというと?
男性2 : お兄さんは映画的なセリフをしゃべっていて伊勢谷さんは現実的にしゃべっていた。それは教団に入るからなんですか?
是枝 : おもしろいな。僕が現場にいた時に映画的なセリフだとは思わなかったけど、すごく空虚だなと思った。つまり彼のしゃべっている魂って言葉だとかを、非常に抽象的だと思って聞いていて。それと伊勢谷君がしゃべっている言葉とはリアリティの質が違うかもしれませんね。僕は向こう側に行く人間と、こちら側の人間の違いとしては面白いなと思いながら聞いていました。
伊勢谷 : 僕は、あのままの性格なんで、あれも何パターンかあったんですけど。毎回違うことができたのは相手の方が、今おっしゃったように映画的だったから。やりやすかったですね。
是枝 : あのシーンは6回か7回、テイクを重ねてますが、伊勢谷君はやるたびに違うんですよ。方向性は決めてたんですけど、どういう言葉使いにするかとか、どういうニュアンスでとか、どういう間でしゃべるかとか、全部お任せしてしまった。普通は掛け合いをやっていくと、どんどんシーンが固まっていって「じゃ、本番いこうか」と回すんですが・・・。
伊勢谷 : いろいろな小物があったんで、やってるうちに、今度はこれ使ってみようとか、そうやってるうちに変っていったんです。
是枝 : だから何度撮ってもテイク1みたいで撮ってて面白かったシーンです。相手役の津田さんは戸惑ったかもしれない。でもそのギャップが逆に面白かったりした。
|