皆さんから寄せられたメッセージ
ふと思うこと。
2004年9月22日 ふく


二週間前に母と見に行きました。
ずっと心待ちにしていた作品は期待以上に響く作品でした。エンドロールが終わるまで入館者の方が、誰もおしゃべりもせず、誰も立ち上がらない映画は初めてでした。

私の母はわずか二歳で両親と死別、曽祖父と叔母の手で育てられました。二十歳で父のもとに嫁ぎ、三人の子供のお母さんになり、今は還暦を迎えています。その母はこの映画を見て素直に涙を流していました。同じ場所でその他の入館者の方も泣いていました。私は、例え映画だとしても本当にあった事件をもとにしていること、現実に毎日子供たちが親から殺されていることが頭に浮かび正直怖くて泣けませんでした。

映像はとても綺麗で、子供の頃感じた日常の美が再現されていて不思議であると同時にとても嬉しく感じました。ポスターやバンフレットのレイアウトやデザインも凄く趣味のいいものでした。出演者の方々も嫌味のない演技の方ばかりで好きな演出でした。すごく小さな頃にみた「泥の河」という日本映画以来に私の心にぴったりくる作品でした。

でも、やはり映画に浸ることができませんでした。実際の事件をネットで検索し、真実に近いであろう事件の文章を読みました。その文章が本当なのかはわからないけれど、もし本当だとしたら、長男のモデルであった子は私と同じ年くらいに成長しているはずです。 
もしも、この映画の反響やカンヌの模様を知った時、実際には決して美しくない世界、理不尽な世界を駆け抜けた彼はどんな気持ちなのだろうかと思いました。

映画のこども達はつくりもの。だから人は泣けるのでしょうか。ドキュメンタリーより映画化してしまう事が何故か残酷な気がしてなりません。

しかし、この作品を通してこの事件を知ったこと、そして今まさにこどもである子供達、そしてその親達に是非見て欲しい作品であることは変わりありません。

そして、実在した子供達が幸せに成長していること、またこども達にこんなことが起こらない様に大人が心を持つことを、一人でも多くこの作品を現代人が見てくれる事と共に祈っています。

子供を取巻く問題(虐待など)について
2004年9月22日 sora


かなしいと言うより せつない

せつないと言うより やりきれない

やりきれないと言うより、もっと・・

腫れ上がった心が ひりひりと痛むようだ

ニュース23での対談を拝見しました。
「種」をもらった一人として今はこのようなことばしか書けないのですが、子供を取巻く虐待などの問題についてせめて、他人事、或は遠くで起こっている出来事という捉えかたをしないでその種を育てようと思いました。

大人の存在の耐えられない軽さ
2004年9月22日 mako


いったい大人はどこへ行ってしまったんだろう。大人は何をしているのか。どうして気づいてやれないのか。怒りにも似た無力感を感じてしまった私です。
ほんのちょっと想像力を働かせれば気づくはずの4人の生活。明が一番恐れた一緒に暮らせなくなる形でしか解決策を用意できない社会の制度や仕組み。人と表面的にしか関わろうとしない大人の自分が映画の中にいた気がしました。
印象的なラストシーン、僕は本当に彼らをいとおしく感じました。

子供の頃
2004年9月22日 こあら


子供の頃は、色々なことを考えていたように思います。
だけど、大人になって世間に受け入れてもらえる考え方をするようになりました。それが、いつの間にか自分の心の中を侵食していったように思えます。
そんな子供の頃に感じていた矛盾を思い出させてくれた映画でした。

【このメッセージは作品の内容に触れています】
無題
2004年9月21日 mariyamy


京子ちゃんが、ガス料金の請求書に描いていた絵には、「パタx2」と書き込まれていました。(是枝さん。京子ちゃんはママの手紙の文章を読んでいたのですか。)あれっと思い出しました。私も、友達への交換日記や手紙で、そんな書き方をしていた時期がありました。学校で・・・
子ども達は生きる上で尊厳を失わなかった。尊厳ある者は「かわいそう」な存在では決してない、そう願いたい。愛に満ちた作品を見せてもらってよかった、と心から思いました。

ありがとう
2004年9月21日 猫


私は18歳の学生です。
感動しました。
私に何か大切な物を教えてくれました。
本当にありがとうございます。

【このメッセージは作品の内容に触れています】
僕たち大人は、この映画から何を学ぶべきなのだろう
2004年9月20日 Masayuki Y


ゆきちゃんを埋めたあと、モノレールに乗って呆然としている明くんとサキちゃんの表情が頭から離れません。泣くわけでもなく、怖がるわけでもなく、またこのような結果を招いた原因である母親に対する怒りを表すでもなく。泥だらけになった服のまま、彼らは何を思っていたのだろう。そのことが映画の中で一番ひっかかっています。

不覚にも・・・
2004年9月20日 MARU


泣いてしまいました。映画館を出たあと、しばらくぼんやりして、深い感動がじわじわと体に伝わってきました。   
それから何に感動したのだろう・・と考え、記憶に残る映像とか音楽を頭の中で味わいました。子どもの生きる姿?純粋さ?喪ったことへの切なさ?、何だろうと。ぴったりくる答えは出てきませんでした。ただ静かに涙がぽろぽろとこぼれてきました。いつも映
画を見たあとは、何か評価して薀蓄たれてる自分がいます。でも、この映画は、ことばでいろいろ表現するのはもったいないと思い、何となくまあいいかという気分に落ち着きました。ただ、子どもたちの表情を反芻していてそれが心地いい。そんなふうに「感じ」を大切にした見事な作品です。久しぶりに映画をみて、豊かな感じに包まれました。 

「何か」を感じました。
2004年9月20日 優人


昨日映画を拝見いたしました。

この映画を見て、今までの自分を大きく重ね合わせていました。
私の歩いてきた人生の中で、こういった場面を気づかずに通りすぎていったことは、何回あるのだろうと。
道の脇を走り抜けていく子供たち、隣で生活する人、私は何も知りません。もちろん、知ってよいこととそうでないことはあるのでしょう。でも、その境が、今は曖昧になっている気がします。

この映画は、自分が社会の中で置かれている状況を再認識することができました。
自分も、子供たちと同じ社会に生きているということです。フィクションとはいえ、現実に起こった事件をモチーフにしているのです。

この社会に対して敏感に接したい。
今の私が感じる思いです。

幸せ
2004年9月20日 夕焼け


今日この映画に出会えたことに幸せを感じました。
子供たちが4人暮らして話していることに幸せを見た気がしました。
お母さんとおそばを食べている5人会話が幸せに聴こえました。
人の幸せなんかわからない、はたから見るとそれは幸せではないかもしれない。誰も知らない。
でも、この映画には愛があった。
与えていた人もいれば、与えられなかった人もいた。
母である自分が子供に戻ってしまったり、スクリーンの中の母になったり。なんだか、胸はギュウーっていってました。
でも、この映画には家族の愛があった。
今、自分の周りにいる大事な人、失いたくない人を愛していこうと思いました。
この映画を作ってくれたすべての皆さん、自分の大切な人、ここで言わせてください。
ありがとう

【このメッセージは作品の内容に触れています】
痛いほどまぶしい
2004年9月20日 世界音痴


劇場で観てから随分と日が経つのですが、今でも時折子供たちの顔が浮かびます。映画を観て泣くことは重要ではないけれど気持のいいことで、子供たちの顔を思い出すたび、こみあげてくる何かに気持よい苦しさを感じています。
映画を観ている時、初めは母親の気持を察して苦しかった。
明るく振る舞っていても眠りながら涙を流す辛さを抱えていた。結果、彼女のしたことは「酷い母親だ」と言われても仕方のないことだけれど、幸せになりたいと懸命に生きた、私にはただ不器用な人に思えた。
親は子供に全てを捧げなければいけないものでもない、もし彼女が子供の為だけに必死にがんばっていたなら、子供たちはあんなに強い輝きを発しなかったのではないでしょうか。
反面、自分の中の子供が彼らのアパートで同居を始めたような錯覚に落ちた。京子が母に塗ってもらったマニキュアの香りを嗅ぐのが印象的。あのメーカーのものは普通のマニキュア臭ではなくて(人によっては強烈な)いい香りがついている。京子にとっては母のいい匂いの一つだったんじゃないでしょうか。閉じこもったクローゼットの中でも、母の化粧品や香水の香りがしたはず。
母子家庭で母が昼も夜も働いていて、小学校にあがるまで兄弟3人アパートに閉じこもっていた(外出禁止!)、子供時代の記憶がよみがえりました。よく母のドレッサーの引き出しを開けて、化粧品のむせるような匂いをかいでいました。
母を理解し兄弟を守った明に、友達ができてゲームに夢中になるシーンも印象に残っています。邪魔をする茂を邪険に扱う様子。普通の子供ならよくあることなのに、それが許されない立場を望まれている明をみつめる京子の視線の哀しさ。
とりとめのないことを書きましたが、ひとつひとつのシーンが眩しく輝き、心のそこに痛くささりました。その痛みは「愛すること、生きること」を自分に考えさせてくれる気持のいい痛みです。
監督の「ワンダフルライフ」が好きで、この作品を観にいきましたが、また、これほどまでに心に残る映画に出会えたことに、この作品に携わった全ての方々に感謝で一杯です。ありがとうございます。
モチーフになった事件は凄惨なものでしたが、パンフレットに記されていた妹の一言に救われました。あの事件の少年と私は同い年です。彼が無事に普通に生きてくれていればいいなぁと思います。

【このメッセージは作品の内容に触れています】
ずっと消えません
2004年9月20日 tomo


みました。何日かたっているのに、胸をつかまれて
その手は離れたはずなのに、いまだにつかまれている感じがしています。冬の湯気のたつ部屋、靴の音、階段の道、
桜の校門、飛行機、電車の窓にうつる街の灯り
最後の子供たちが歩いているシーンはなぜか
自分から遠いところできらきらしていた。

生きるということ、その瞬間。

私は二人目の子供を産んだばかりです。
自分が子供だったときのこと、
これから成長していく自分の子供との間でいったりきたりで
考える毎日だけれど、でも、あの4人の子供のことを私は
しらないで過ごしてきたんだとおもうし、
この映画をみなければ、これからも知ることはなかった。

是枝監督、ありがとうございました。
わたし、この作品をみれたこと
ほんとによかったと思っています。

【このメッセージは作品の内容に触れています】
生きること。
2004年9月20日 亜矢


今日、『誰も知らない』を見てきました。
なんというか、この映画には何が正しいとか、何が悪いとかが無くて、ただそこにあるのは愛だと思いました。
お母さんを責めることは、最後まで出来ませんでした。
お母さんは間違いなく子供たちを愛していたから。
一人で4人の子供を養うことは、どんなに大変なことでしょう。
お母さんが明に頼ってしまったことも、責めることは出来ません。

それでも、お母さんがいなくなって、お金がなくなって、子供たちが必死に生きてる姿を見ると、やっぱり何かを悪者にしなくちゃ気が済まなくて。
コンビニのお姉さんや、大家さんとか悪者にしようと思っても、やっぱり誰も悪くなくて。
気付いたら、泣きそうになってました。

ゆきちゃんが死んでしまって、次の日に、そっと手に触れようとしてた明の手がとても印象に残っています。
触れたいけれど、少し怖がっていて、認めたくないような。
さきちゃんが、恐る恐るゆきちゃんの髪を撫でるように触れる手も印象深いです。
ゆきちゃんをいれたピンクのスーツケースを、電車の中で撫でるような手も、何もかも全てに愛を感じました。

最後に描かれた子供たちの『日常』に、希望を感じました。
生きていることの大切さ、生きることの難しさ、愛することを学べたような気がします。
本当に、愛に溢れた作品だと思いました。
この映画に出逢えて、本当に良かったです。

やるせない気持ち。
2004年9月20日 瑠伽


映画を見てから半月以上が経ちますが、
今でも主題歌を聞いただけで、
心にぽっかり大きな穴が開くような寂しさがあふれます。
母親は、子どもに対して愛情を注いでいたのも事実です。
だからこそ、まっすぐな気持ちで母親をずっと信じてまっていたのでしょう。
でも、子どもを愛してはいたけれど、
それ以上に自分の幸せを優先した。
母親業は、おそらく我慢しなければならないこともたくさんあり(私はまだ母親になってないので分かりませんが。)、
人を育てるということは責任が重いことばかりです。
自分のことより子どものことという面だって恐らくあるでしょう。
自分の幸せだって大事、
子どもの幸せも大事、
子どもの将来を考えると自分を犠牲にしなければならないときもあり、
それが重荷になるときもある。
このお母さんは、私の思う母親ではなく、
きっと自分の子どもなんだけど、親友のような存在だったのではないかなと、ふと思った。
一般的に言えば、自分の子を置いていって、心配にならないなんて・・・とか、
子どもの将来を考えると、戸籍や学校などの問題や、将来のこと、生活のこと・・・
きちんとしないと・・・とか考えてしまうものでしょう。
そんな考えの下、このお母さんを見ると、非常に無責任で自己中心的な人にしか映らないけれど、
そんな一言では言い表せない何かがあるように思う。

きれいでした。
2004年9月19日 祝


とても静かで、とてもきれいでした。
映画も、パンフレットも。

私は今まで映画を観たなかで、胸が苦しくなり、どうしようもない気分になったことはありませんでした。
途中、席を立ちたくなりましたが、次の場面に変わると至福の時間が流れている。
映画は静かでしたが、私の心はジェットコースターに乗っているようでした。
こんなにも揺さぶられた理由はなんだったのか。
それはきっと、とてもきれいだったからです。

ありがとうございました。

この映画は宝物
2004年9月19日 ささふね


4回も見てしまいました。この映画のすみからすみまで、ひとつひとつのカットを愛しています。フォーリンラブ状態です。だから、もう冷静な客観的な感想は書けません。もう何十年も前、京子ちゃんくらいの年だったころに「サウンドオブミュージック」に恋して
以来です。明君がはじめてきょうだいたちを外に連れ出す場面でサウンドオブミュージックに似た場面があったのを思い出しました。
「誰も知らない」は見る人によってこんなにいろいろな見方があるんだと、この掲示板にも感動しました。特に母親の人間性や明君との関係についてはいろいろな解釈があるのが面白いです。その点については監督さんは観客にゆだねたのでしょう。
ほんとに好きと思える映画に出会えるのは幸福なことだとしみじみ思っています。是枝監督、ありがとうございます。

夏の思い出
2004年9月18日 ゆめ


「夏の思い出」のところに清水萌々子ちゃんが描いた絵、
みんなよく似ていると思いました。
周りの人をよく見てるんだなあと思いました。

【このメッセージは作品の内容に触れています】
言葉にならない想い
2004年9月18日 ゆめ


先日『誰も知らない』を観させていただきました。

明が弟妹たちに何も言わないでも
彼らのことを気遣い、なんとかして喜ばせてあげたい
と考えているのが
表情や映像からすごく伝わってきて、
明の優しさなのに、観ていて胸が痛みました。

ゆきが明のTシャツの袖をつかんでじっと見つめていたときも、痛かった。

京子が「京子ちゃん」「京子へ」というお年玉の字の違いに気づいてしまったときの気持ちも。

茂が何も言わないで勝手に外に出てゲームをしてしまったのも。悪気はなかったはず。

紗希も口数は少なかったけど、
だけど4人の兄弟たちといるときに見せる笑顔から伝わってくるものがあった。

全部言葉じゃないけど、わかる。

万引き、いじめなど、最近は忘れられていたようなことが
映画に出てきて、
ハッとさせられました。
忘れてはいけない。
戦争に比べたら小さなことだと思ってしまって忘れてしまうかもしれないけれど、
子供からしたらどんなに小さなことでも「悪いこと」であって、
「悪いこと」に大きいも小さいもない。
「悪いこと」をテレビやニュースでたくさん見たり聞いたりして
慣れっこになってしまっていた自分にハッとした。

素の子供の姿を見ることができた気がする。
子供の気持ちを少し取り戻せた気がする。

その気持ちに慣れっこにならないようにしたいと思います。

すてきな映画をありがとうございます!!!!!

今もなお
2004年9月18日 yoko


幼い兄弟が無惨な殺され方をした事件はそれに対して言い得る言葉が見つからないほど衝撃的なものだった。自分の住んでいる同じ世界の中で起きたこととは信じられない。しかし確実に起こっていた。そしてそれは同じつながった世界の中で起きていることという点で私にも何らかの責任があるのではないかと感じた。果たしてでは私に何ができるだろうか。
今回の事件を考える中で何度も「誰も知らない」の様々なシーンがフラッシュバックしてきた。是枝監督の作品によって私は残酷な事件の向こう側にも確かに在る人間の鮮やかな命の力をみせてもらった。でも今はそれを心に刻んだ分だけ、同様の子供達が犠牲になる事件の痛ましさがより強いものとなった。
こんなに痛ましい衝撃をうけたこちら側からまた同じ皆で共有しているこの世界に、暗い衝撃ではなく何かの方法で私も温かいやわらかなものを送ることはできないだろうか・・・と

  < next  previous >  

close
Copyright 2004-2008 『誰も知らない』 製作委員会
All rights reserved.