皆さんから寄せられたメッセージ
【このメッセージは作品の内容に触れています】
人生はつづく
2004年9月23日 フジイ


真綿で首をしめられるようにだんだんと切なさが満ちてくる映画でした。
最近『スパイダーマン2』でひとしきり泣いてしまったとは思えないほど、泣けるとか悲しいという感情とは離れていたかな。

思うに(わたしにとって)映画を見ていて泣けるのは、その登場人物が何かに対して想いがあるのに、それがうまく伝わっていかないもどかしさとか悔しさに共感してるんだと思うのだけど、この映画にそれは感じませんでした。

社会生活の中での強者と弱者の構図が、生き方としての強い・弱いとは比例しないというか、子供たちには固い決意が感じられたし少しも惨めには見えなかった。

むしろほんとに平熱な日常、ほんとに普通の毎日なんだけど、その普通や当たり前を維持していくことが『お金がない』とか『保護者がいない』ということで困難になっていくのが理不尽に思えてくる程、人としてキチンと生きている姿が描かれていたと思う。
その意味では、大人と子供という対比もあまり意味がない。

実際『誰もしらない』状態ではなかったのだから、自分から助けを求めたり、接した大人が通報したりもできたのかも。『誰にもしらせない』彼らの頑なさが(映画の中では)それを留めていたように思う。
そんな中でも、小さなエピソードやほんの一言のセリフの中からあふれだしてくる自由への憧れ。

全編の中でとても印象に残ったのが、手にまつわるシーン。
言葉で多くを語ったり当てのない約束をされるより、ほんのちょっとした仕草なんだけど手をふれられるほど側にいることで伝わってくるものの確かなチカラを映していたように見えたり。
特に、ゆきちゃんとあきら、あきらと野球の監督の手の包み込み方は、いないハズの父親とあきらの中の父性を浮かびあがらせていたように思う。

みんなそれぞれ目ヂカラが強かったし、ヤギラくんは怒ってるシーンが良かった。

HPでアトム・エゴヤン監督が『思いやりや責任感といったものへの深遠な問いを私たちに投げかけ、観る者の心を激しく揺さぶる力強い作品だ。』と言ってるけど、まさにその通り!

実在の彼らが最終的にどうなったかはまだ知らないのですが、とにもかくにも。
そして人生は続いていくのですね。

『ワンダフルライフ』もスキでした。

ひと言お礼を。
2004年9月24日 せいこ


是枝監督さま。

私はTシャツにサインをさせてしまった者です。
大変失礼しました。

昨日は遠く神戸まで来ていただいて、
ほんとにありがとうございました。
あの時手をあげて感想を言いたかったんですけど、
私みたいに語彙の少ない人間は
きっと上手く表現できないだろうと思って
できませんでした。
でも、これだけは言いたい!
私は監督の作る映画がとても好きだということ。
これだけはもう、間違いないので。

今のまま、変わらずに好きなものを撮り続けてくださいね。

ティーチイン
2004年9月24日 g-j


2回目を見ようと、映画館に足を運んだ日が、偶然監督が来られるティーチインの日で、とてもビックリしました。
直接お話ができてとてもうれしかったです。1回目に見終わった時は、抜け殻みたいになって、グルグル考えが巡ってたんですが、今回はゆったりした気持ちで、子供達を・・・大人達にも目を向けられたと思います。
僕らには日常ではない、彼らの日常に触れられて、改めて良かったです。これからも多くの人がこの映画に出会えると良いなぁ・・・。

【このメッセージは作品の内容に触れています】
神戸の舞台挨拶、素晴らしかったです。
2004年9月24日 神戸の静かな夜


今夜の神戸での舞台挨拶を拝見しました。素晴らしかった。お会いできて本当によかった…映画の直後、整理のつかない感情のまま座っていましたら、監督がおいでました。この方が作った方なのだなーとひたすら食い入るように見つめていました。「気持ちよく泣いてほしくない」とおっしゃいましたね。実はオープニングからずっと泣いていました。でも、気持ちよくなんかない、痛くてずっと泣いていたのです。そして今も…。自分の子供時代の目線、そして今、息子達の抱いているであろう心の襞がリアルに迫り、呼吸もできませんでした。多かれ少なかれ、私のしていることは明の母と同じです。仕事が面白くて息子達を後回しにしているとき、彼らはせつない瞳で私の背中ををみつめています。そんな彼らに流れている時間を、私は「知らない」。明のガールフレンドも物質的に恵まれていますが彼女の世界もきっと「誰も知らない」ことでしょう。私はここに、一事件に留まらない普遍性を感じています。監督はどんなメッセージをタイトルに託されたのですか?…明の母が「私は幸せになっちゃいけないの?」と言いましたね。わたしもそう言って好きな仕事をしてきました。母の幸せと子供の幸せが一致しない不幸ですね。私は仕事をやめようと今晩思っています。それで子供の世界を「知る」わけではないけれどドアを開いておこうと思っています。…先日の栃木の事件の際に感じましたが、周囲が気付かないことって、そのまま罪なのかもしれませんね。…皮肉にも私は小学校の教師をしてきました。今日、子供の目線から見える空の美しさを思い出しました。そして自分が意識的に見ようとしていなかったものも思い出しました。胸の痛い、静かな夜でした。ありがとうございました。京子ちゃんがマニキュアをぬってもらうシーン、お母さんのクローゼットに入っているシーン、素晴らしいです…おっしゃっておられたとおり、大女優になられそうですね。

涙が流れ、そして乾く
2004年9月24日 すおう


明たち4人の子どもと近い年齢の子どもがいる私は、予告編を見たときから、涙が止まらなかった。
本編を見始めたときも、最初は涙が流れて、ハンカチがぐっしょりしたほど。
でも、4人の子どもが、自分達だけで生きはじめた時、しだいに涙が乾いてきた。
かわいそう・・・なだけではない彼ら。
生きることにひたむきで逞しい彼らの姿が、私には眩しかった。
生きることの意味を、あの4人が教えてくれたような気がする。
あの子達を一人一人力いっぱい抱きしめたい。
抱きしめて、皆があなたを愛してるよって伝えたい。

この映画を見た私は、今まで何のために生きてきたのだろうと、自問するしかない。

【このメッセージは作品の内容に触れています】
心象風景
2004年9月23日 Misakit


この物語を包む、モノレールや羽田などの外の映像が、子供のときに見ていた60年代の都市イメージと一致して(ピチカートファイブの詠う心象風景ともつながるのですが)、21世紀になっても変わりなく、私たちを抱(いだ)いて見つめ続ける密やかなルーティンのようなものを感じました。それは、監督をはじめ、つくった方々の「温かみ」によるものだと思います。 ...すべての子供たちが、そんな心に触れられますように。

強烈
2004年9月23日 reina


映画が終わってもいつまでも心に残る作品でした。

私が子供だった頃、大人をどんな風に見ていたかを思い出しました。
これから結婚して子供ができた時にこの映画を思い出したいと思っています。学校では教えてくれないたくさんの事を学びました。
本当にすばらしい映画でした。

【このメッセージは作品の内容に触れています】
輝く命
2004年9月23日 あい


昨日2回目を見てきました。1回目は一人で、昨日は友人親子とうちの子供たち(小6、小4、年長)も一緒でした。
見て2〇分位したら、6歳の長男が「ママ、面白い」と耳打ちしてきました。終わるまでの二時間子供たちは皆あの部屋の子供たちになっていたようです。

私が流した涙は無垢なものを見たときのいとおしい感じでした。命は輝くものだと改めて感じて。。。
ものやお金では生きる力は生まれないと紗希ちゃんを通して監督が言っているのでは?と思いました。
私の周りにいる子供たち、皮肉にも全てが揃っているように見えるこども程不安げに見えます。

悪者探しをしてみても何も解決にはならないし、困っているこどもを助けたい、守りたいと思いながら12年も経ってしまったし。この「ぐるぐる」を続けながら、何か形にしたい。

この映画は、俳優のこどもたちが年月の中でその役にのりうつっていく、そんな一つのドキュメンタリーでもあるかなって思いました。そこにも感動。できたら猫のベンも出て欲しかったっ!

誰も知らない・・・でも生きてる。
2004年9月23日 迷


映画を見た後、帰りの電車で乗り合わせた兄妹がとても気になりました。私にも弟妹がいるのですが、こんな気持ちは初めてでした。
劇場に貼られていた『生きているのはおとなだけですか』というポスターも、映画を見る前と見た後で印象が全く違って、とにかく、自分は今まで何事にも無頓着だったんだと思い知りました。
私は今17歳で、「大人でも子供でもない年齢」とよく言われます。でも、時々思うのです。
そんな子供のほうが、時には大人よりも「大人」の目線で「自称大人」達を見ているのではないでしょうか・・・
だからこそ、明君たちは、「母親の帰ってくる場所」である自分達の家を一生懸命守っているのだと私は思いました。

子どもという存在の美しさ
2004年9月23日 ピアソン洋子


社会の弱者でありながら、大人の知らないところで強く生きている子どもたち。言葉に頼らずに心で生きている子どもたちの崇高な世界がある。それを守ろうとする明の瞳の奥に、どんどんと吸い寄せられていく自分がいた。思春期の繊細な心、少年のピュアな自負心。それがたまらなくいとおしい。
この作品は、子どもたちと、もう子どもではない「私」の物語である。私は声をあげて泣きたかった。子どもたちの悲劇がモチーフとなっているのに、同情でも怒りでもない奥深い感情に押しつぶされそうだった。私たち大人は、「何か」にとらわれて、すぐそばにいる子どもという存在の美しさに気づかずに、走り続けていないだろうか。

感謝をこめて
2004年9月23日 れん子


「福島けいこは私の母だ」「明と京子と茂とゆきは私だ」「まわりの大人は私だ」と思いました。泣くというより、震えとめまいが3日ほど続きました。苦しさをどうすることも出来ず、もう一度見に行きました。

2度目の画面から、監督の声が聞こえたような気がしました。「君たちは『お母さん』の愛情を丸ごと信じた。そして応えようとした」「君たちは捨てられた後も、互いの信頼に応えようとした」「君たちは精一杯やった」という静かな声を。

映画の中の声をこんなに信じたことはありません。細部に至る的確な配慮はどれもこれも暖かく、ひたひたと潮が満ちるように信頼感を支えていました。

今は苦しさがエネルギーに変わっていることを感じています。是枝さんから私に届いたこのエネルギーが、たくさんの「明」「京子」「茂」「ゆき」に届いていることを信じます。そして現実の事件の少年にも、どうか届いていますようにと切に祈ります。

この映画にかかわった全ての方々に心からの感謝を捧げます。

無題
2004年9月23日 ゆき


ひと月くらい前に観ました。

彼らは世界に向かって、あんなにもまっすぐに手を
伸ばしているけど(こどもはみな真っ直ぐだ)
誰にも受け止めてもらえることがない

想像を絶する現実に思わず頭がストップしてしまいそう

けど 何だかんだと、
カンタンに結論づけるのはいやだな

考えつづけられるくらいに、心に少しのゆとりを
もって生きたいな
それがおとなの役目かもしれない 非力な

じぶんじゃまだまだ大人だとは到底言えないん
だけれど、彼らにしたら自分らを取り巻く大人だ
あのスクリーンの中にいる人たちと同じく

私のすぐ隣にも、そんなちいさな人たちがいるの
かもしれない
ていうかおとなこそが、こころ豊かに、じぶんを大切にして、生きないといけないのだと思う まずは

あのお母さんの彼女は、そういうことがなかったのかもしれない

25歳の誕生日を迎えてそんなコトを思いました


映画を観た日、夜になって泣きました
それは彼らに対してではなく、私自身の傷というか、
そういうものにきちんと触れられたからだと思って
います
(生きている限り、人は誰でも傷を負うのでしょう)

是枝さんの、怒りから変化したやさしさが届いたからなのだと思っています
ありがとう、を言いたいです

【このメッセージは作品の内容に触れています】
考えさせられました
2004年9月23日 てんねん


先週末に大阪で拝見させて頂きました。最初は映画というよりはドキュメントの様な感じがして、これまで自分が見てきた映画と少し趣が違うなと感じました。話が進むにつれて、事態がどんどん深刻になって行き、それでも逞しく生きていく子供達の生命力には胸を打たれました。心に残るシーンはたくさんありましたが、その中でも一番胸をしめつけられたのは、ゆきちゃんが亡くなって、彼女を鞄に納めるところ。一旦は最初に運んできた時の鞄に入れようとしたが入らず、茂君が入っていた時のスーツケースに入れる時、京子ちゃんが「大きくなっていたんだね」って言った時には、自然と涙がこぼれました。何ともいえない気持ちになりました。また、ゆきちゃんを埋めた後の明君の震える手。手だけであれほどの感情が表現出来るのは素晴らしいと思いました。そして、彼の手にそっと重ねるさきちゃんの手。人間愛を感じました。タテさんの挿入歌は頭に焼き付いて離れません。この映画は見る人の生い立ちや考え方ひとつで全然違った印象を与えるだろうと思います。私は、この映画を通して、子供達の正直な目に負けないような、子供達の目に正面から向き合えるよ・u桙、な、そんな大人にならなければと思いました。

無題
2004年9月23日 かつたん


ショックだった。
私はすっかり大人になってしまっていた。
お母さん側の事情も、なんとなくわかるようになっていたし
作品の最初から最後まで明君に
「警察に行って〜福祉事務所に行って〜」と念じている自分がいた。

大人が子ども達に何かしてあげたい、と思うことはごうまんなことではないか。とふと思った。
この作品にでてくる子ども達が本当に望んでいることのひとつでも私はかなえることができない。
子どもより大人のほうがなんだか無力だ。

という私は教員志望であさって面接試験がある。
この作品を観た後で、自分が何を話せるか不安だ。
うわっつらの教育論だけは、言わないようにしたい。

何も出来ない大人・・・。
2004年9月22日 YURI


この映画を見た後、自分の周りはどうなのだろう?と
考えるようになりました。
もし隣の家で虐待が行われていたら?
自分のバイト先にそんな子供が来たら?
きっと何も出来ないと思いました。
人に対して手を差し伸べることを、
今の時代「お節介」ととられることもある。
当たり前のように近所付き合いをしていた時代とは違って、
今は人との距離を保つことが当たり前になりつつある。
悲しい時代ではあるけれど、自分もその一員なのだと思うと
もっと悲しい気持ちになりました。
誰が悪いわけでもない。その事実が一番心に残りました。

幸せ
2004年9月22日 ブタオッチ


なんでしょうか?幸せって?
映画の中で子供たちは、大変で苦しい状況にいたけど皆で助け合い生活できて幸せだったんじゃないかと思います。

僕は世の中の事を映画の中の子供たちより、良く知っています。自分より豊かな生活をしている人を妬んだりします。だけど、それってそんな重要な事なのか?今持っている幸せを大切にするとか、今持っている幸せに感謝するとか、考え方を変えれば人生は全然違ってくるんじゃないか?

そんな事を考えました。

【このメッセージは作品の内容に触れています】
それでも日常は続いていく
2004年9月22日 澄良木 修司


子供たちは、大人がいるのと同じ世界だけど、見えない壁で隔てられている空間で生きていた。しかしそれはやがて破綻せざるを得なかった。

この映画は現実に起こったショッキングな事件をモティーフにしていますが、実は誰にでも起こりえることを描いているような気がします。

大人たちの知らない世界で子供たちが生活で感じるだろう楽しさ、哀しさ、苛立ち、絶望感、すべて描かれているように思います。

個人的な意見ですが、ラストでゆきを埋め、皆で歩いていくのを見て、サブタイトルは「生きているのは、おとなだけですか。」より「それでも日常は続いていく」のほうが良いのではないかと思いました。私自身、最近21歳になってそんなことを思っています。

【このメッセージは作品の内容に触れています】
無題
2004年9月22日 LEAF


私は14歳と11歳の二人の子どもを持つシングルマザーです。
自分の子どもと映画の中の子どもたちが重なってしまい涙が出て止まりませんでした。私は一度も子どもを手離そうと思ったことはありませんが、でも、どの子も小さな胸を痛めてたり、大人が思う以上にいろんなことをわかってたり、いろんな思いを抱えて生きてるんだと思います。

私と子どもたちも2DKのマンションに住んでます。
映画の中の母子の姿が自分たちとたぶりました。
決して裕福ではないけれど、子どもと豊かな時間を過ごしてる母子家庭はたくさんあります。
悲惨さだけを強調してないところもすごく共感できました。

私は2回も見ました。
どうしても、もう1回見たくて、見なきゃ・・・って思って
2回目見に行きました。目をそらしちゃいけない・・・って思うんです。何度見ても胸が痛くてしかたがないけどちゃんと逃げずに見なきゃ・・・って思うのです。
涙が出てしかたないけど、ちゃんと見て、ゆきを埋めに行く明を最後まで見守りたいと思いました。
すごく切なくてたまらなかったけれど・・・。

とても素敵な映画ありがとうございました。

家族
2004年9月22日 コウ


僕はこの世の中はつまらない。
いつもの当たり前の日常がつまらないと感じた。
でもこの兄弟達は僕がつまらないと感じている日常を大事に
必死に守ろうとして生きている。
母がいて兄弟がいて家族でいることが何よりも大事で楽しい
と感じているみたいだった。
この感覚の違いは何なのだろう?
僕は自問自答したが、はっきりした答えは分からなかった。
ただこの兄弟が現実から目を背けず、与えられた環境の中で、何が一番の幸せかと考えた時、そこに”家族といる”という答えが出たからだろう。いや、感じたからだろう。
僕には今、家族と一緒にいることは普通だし、当たり前だと思っている。でも、家族に支えられてるから生きていられる。この映画は僕にもう一度周りを見渡す機会を作ってくれた。

子供と笑い合える今が、幸せなんですね。
2004年9月22日 まーくんママ


是枝監督の作品は、『ワンダフルライフ』をビデオで、『誰も知らない』を映画館で観ましたが、セリフや演技にワザとらしさがなくて、淡々としているのが、心地いいです。映像も、淡々としているけれど暖かさがあると思います。『ワンダフルライフ』の赤い靴履いてた女の子のお婆ちゃん、『誰も知らない』に出てくる子供達は、とってもいい笑顔で、観ていて暖かい気持ちになります。
『誰も知らない』は、観ていて色々な事を考えさせられました。終わり方が、後味悪かったです。答えが何もなかったから。。 結局、この映画を観た一人一人からでも、意識を変えていかないと、また置き去りにされたり、虐待されたり、罪のない子供達が犠牲になる事件は、これからも減らないと思った。 
映画を観てから、いま1歳半の息子の笑顔が、とても輝いて見えます。息子と二人で、一緒に笑い合える時間が、とても大事ものなんだということを、映画から教えて頂きました。私も虐待こそはしていませんが、毎日毎日、オムツを替えて、食事を作って、食べこぼしを片付けて、寝かしつけて。。。同じ事の繰り返しに、「もう子育てなんて面倒くさい」とイライラする時があります。「ママは、あなたの世話ばっかりで一日終わっちゃって、自分の時間が全然ないよ!」と、息子に八つ当たりしたくなったりします。 私自身、親にまったく暴力を振るわれないで育ったわけではなく(親自身は教育の一貫として叩いたりしていたそうですが、子供の私にとては辛いものだった)、自分の子供が産まれたら絶対に虐待しない、と心に誓っていたのに、今まで2回くらい子供を叩いて泣かせてしまった事もあります。。 すぐに悪かったと思って、子供を「ごめんね」と抱きしめるのですが。 虐待はいけないと頭で判っていても、色々なストレスが積み重なって、つい手が出てしまう事があるし、子育てって楽しい時ばかりじゃないなく、大変な面もあると思います。子供が出来たからこそ・u條yしい事も、たくさんありますが、子供を怒る時には、そんな事は頭から消えちゃってる。
『誰もしらない』を観て、自分の子供がいつまでも、心からの笑顔で笑っていられるように親として支えてあげなくては、と思いました。サキちゃんのように、中学・高校になって笑顔を失ってしまう事も多いと思う。中学・高校の問題って、複雑だし、どう解決していったらいいのか、難しそうだけれど。。自分も年取っていっちゃうし、自分の子供だって、救ってあげられるのか?正直、自信がないけれど。。 でも、学校で辛いことがあても、お母さんがいつも笑っていて、暖かくて楽しい家庭だったら、子供も救われるのかな、とも思います。

  < next  previous >  

close
Copyright 2004-2008 『誰も知らない』 製作委員会
All rights reserved.