皆さんから寄せられたメッセージ
【このメッセージは作品の内容に触れています】
かなたを飛んでいくひこうき
2004年9月30日 み


用意された靴ではなく別の好きなサンダルを選ぶ、
この上なく日常的なやりとり。
なくなっても捨てられなかった空き箱。
窓ガラスに指で描いたらくがき。
すりへったクレヨン。
切りすぎた前髪をいじる指。
車になったつもりでかけぬける雑踏。
友達を遊びに誘うときのはずかしさと不安な気持ち。
忘れているけど残されている子供時代のあの瞬間を、こんなに丁寧に切り取った映画を僕は知らない。
胸を刺す痛みと甘酸っぱい幸せな気持ちを同時に詰め込んだ不思議な空間。
母がいなくなったことよりもまず、封筒に入ったお金がいくらあるのかを丹念に数えなければならない生きようとする強さがいじらしく切ない。
母の席をしっかり空けて囲む食卓。
胎児のように押し入れに入り込む丸い背中。
寝たふりでごまかすはずかしさ。
ひとり四役でやるカードゲーム。
床に残ったマニキュアのあとをなでる指。
こわれやすいカップめんの容器から(そしてそこには自分で書いた名前がある)芽を出した雑踏の草花が、落ちてしまいそうなベランダの縁で、こどもたちを守るように、こどもたちを遮るように無数にそして力強く伸びている。
あの日、いすの上から草の隙間をぬって見ようとした誰も知らない小さな家族のつながりは、空のかなたから見えたのかな。
監督のどんなひともどんなことも裁かず見守る視点が好きです。
すばらしい時間をありがとうございました。

思い出す
2004年9月30日 のぞみ


子どもは無邪気なほどに無表情で、あどけないほどに客観的な視野を持ち、拙く幼稚にみえる心は複雑に複雑に機能している。そんなこと子どもの頃は当たり前に承知していた。
この映画は、けして悲劇ではなくて、わたしには懐かしい時間の空気を感じさせてくれた。でもその頃の自分と今の自分を比べていったい何が変わったのだろうか。何も変わってないような気もするし、何か変わった気もするし。年を重ねたからといって自分の内にあるものは成長するわけでも老いるわけでもないと自分は思っている。ただ一つ確実に変わったと言えることは、自分の回りで起こることを見ようとしたがらなくなったことかもしれない。それは、ある意味人間が生きていくうえで自分を守る手段として本能的に備わった作用なのではないかと思う。

無題
2004年9月30日 smile


今日 2回目の 誰も知らないを見てきました
ずっと見たいと思いながら仕事 子供の世話に追われ
なかなか見に行けないでいました
私もバツ1で二人目の子供がお腹に入る時に別居し
実家に帰り出産しました
上の子が五歳になる少し前でした
父親の記憶のある歳でした
それ以来父親と会う事はありません
気を遣ってか話す事もあまりありませんが
写真など出てくると弟には見せまいと隠したりします
そんな娘は弟の面倒をよく見てくれますが
歳が離れている事もありけんかばかり
私に対しても反抗ばかり
毎日のように怒ってばかりというか喧嘩に近いかも
口でまけてしまう私はたたいたりする事もありました
でも 誰よりも何よりも愛しているんです
そんな娘と兄の家にみんなで御飯を食べようと集まった時 調子に乗った娘と喧嘩になり子供を置いて飛び出してしまい 行く当ての
ない私はこの映画を見に行きました 胸が締め付けられるような思いで最後迄見ました
息苦しくなるくらいでした
お母さんの言葉 子供達の大人びた行動や考え でもまだ子供なんだと思える行動や考え 分かると思いちがうやんとも思いながら 
自分達とも重ねました
私は同じような思いをさせている事は確実でした
私は1日たりとも子供達と離れた事はありません
仕事の時はおばあちゃんはいますが店をしている為
娘に弟の面倒を当たり前の様にみさせ沢山の”できる”という言葉を押し付けてきました
我慢しているという気持ちもどこかにありました
私はあなた達の為にこんなにがんばってるから
あなた達も我慢してね 頑張ってねって思ってきたように思います 身体が離れる事はありませんでしたが気持ちがすれ違っていたんだと思います 
私は今仕事を休んでいます
ただいまと帰ってくる娘にお帰りと答えています
おばあちゃんに迎えにいってもらっていた保育園に
息子を迎えに行っています
この映画が私に教えてくれた 問いかけられた事を
じっくり考えています
物より思い出というコマーシャルを初めてみた時目をそらしたのを覚えています あの家にも沢山おもちゃがあったようにうちにも沢山のおもちゃがあります
仕事をしないと生活に困ります
だから私はまたすぐ仕事を始めるでしょう
でも物で満足させるのではなく気持ちをみたしてあげられるように...お給料が少なくなってでも子供達と過ごす時間を大切にしていきたいと思います  物より思い出子供達は分かってくれるでしょうか
今日 もう一度見に行きました
今日は涙がとまりませんでした
なぜだか分かりません 色んな事が頭に入って見に行っからでしょうか 本当にあった事件...人事ではない..
今 公開された事は私にもとても意味のある事でした

私の子供も私よりしっかりした考えを持っていたり
子供らしく無邪気に笑い走り回ったり..
見逃さないようにしっかりと見ていきたいと思います

実は2回目は娘と一緒にと思っていたのですが迷ってしまいました
いつか一緒に見たいと思います

私事ばかりですいません

本当に本当に感謝しています
ありがとうございました

私はどうしよう。
2004年9月29日 namq


もし近所で同じことが起きていたら、私に何ができるだろう、私は何をするだろう。
今日映画を見た帰り道、車を運転しながらずっと考えていた。

どうにかして助けてあげたいけど、あんなに母親を、兄弟を愛してしまっていては、きっと私は気づけないし、気づいても子供達の望む--ひざまくらをして髪を撫でるような--「何か」を与えられそうにない。

映画を見ている間中、つらかった、胸が痛かった。

でも見てよかった。本当によかった。
製作に携わってくださった皆様、どうもありがとう。

そしてどうかこのような悲しいことがこれから起きませんように。

ありがとう
2004年9月29日 まんまる


2時間、言葉にはならない思いを見逃すまいと一生懸命見ました。
眼差し、小さな手、泥だらけの足、汗、ほつれた髪の毛。みんな、きれいだった。
そして最後まで、彼らの目に涙がなかったことも。
あの子たちに出会えてよかった、ありがとう。

【このメッセージは作品の内容に触れています】
見てきました
2004年9月29日 ふうか


思い切り泣きたくて見に行きました。でも流れ出たのは一滴の涙だけでした。
悲惨では無い、かわいそうでも無い、なんて言ったらいいのか健気さに胸がつまった。
母親の居場所はわかっているのになんで連絡しないのか?
母親の幸せを壊したくなかったのか「私は幸せになっちゃいけないの?」この言葉が明には響いているのだと思った
母親はいつか必ず帰ってくる、ゆきちゅんが亡くなった後に送られてきたお金を見てそう思ったのではないか、
だからこのままの生活を続けているんだと思いました。
親は無くても子は育つ。無理に一緒に生活して虐待され殺されるよりは幸せなんじゃないかと、最近のニュースをみて思いました。
本当は、育てられなきゃ生むな!って一番思いますけど。
とにかく、子供達のがんばりがいつか報われるよう祈らずにはいられない思いでいっぱいになりました。

罪悪感
2004年9月29日 RIE


子どもたちへの罪悪感で心がつぶれそうです。
大人としての。

とにかく子どもたちがかわいい、それだけに見るのがとてもつらかった。いとおしい思いはつらさに結びつくだけだった。

それから、YOUさん、うますぎてコワイ。悪気のない、わがままな母親役がとてもリアルでした。

衝撃的でした。
2004年9月29日 萌


『もう一度観たい』が、正直な感想です。
誰も知らないを映画館でみてから数日経ちましたが、未だに誰も知らないのことで頭がいっぱいです。
上映されている間、気持ちはすっかり私もあの部屋の一員になっていました。そして、実際にあった事件がもとになっていることを知り、大変驚きました。
私自身、幸いにも19年間生きてきて虐待などには縁のない生活をしていたので…。虐待…って聞いてもなんだか自分には関係の無い世界の事だわ〜なんて思ってた自分がいました。そんな自分をすごく今は恥ずかしく思います。
幼児が親からの暴行によって亡くなることだけが虐待じゃないってこと、子供を育てるのを放棄することも虐待なんだ…と改めて虐待について深く考えさせられました。
子供は、親を選ぶことができません。だからこそ、親に愛されたいと思うし、親を信じるのだと私は思います。
でも、そこで親からの愛情がなくなってしまうと生きていく力さえ奪われていくものではないでしょうか。
今後、自分が結婚・妊娠し子供を出産する時にはこの映画のことを思い出し、子供のことを目一杯愛してあげようと思います。

私は「母さん」です
2004年9月28日 ポーター


毎晩 3歳の子供に枕元で「今日何が楽しかった?」とききます
「お母さんがいるのが楽しかった」
おすしを食べても ほしかったおもちゃを買った日も「おかあさんがずーーといるのがたのしかった」といいます
実はそうなのかと 頭がじんわりきます

子供の一番楽しいことが お母さんといることでも
お母さんの一番楽しいことが お買い物や 高級料理の外食や仕事、好きな人といることであった場合、 子供といることが一番楽しいことではなかった場合 そのズレはどうなっていくのでしょう
深くなっていくのでしょうか

子供から母に向けられた愛情はどこにいくのでしょう
お母さんはどうしたらいいんでしょう

つなぎ止めてるものは子から親を求める欲求
母親はただ一つ 本能的に「産んだ責任」
(責任感だけでなく 愛情あふれる方 楽しんでる方も 多くいらっしゃいますが)

その責任がなくなれば 一人の人間として一番やりたいものを求めていく

ケイコになる・・・・・

私は「母さん」です
私が毎日やっている 食事 お部屋をきれいにたもつことが どれほど普通で 周りに理解されなくとも どれほど大切なことか 確認できました

映画は唯一の趣味であり鑑賞するときは「000賞」やら「有名監督」だからという概念をもたずに 先入観なく真っ白な自分の心で作品をみます
しかし 残念ながら 「是枝作品は必ずチェック!」という気持ちになってしまいました 

神戸で実際のお顔を拝見できて ほんと良かったです

シンクロ
2004年9月28日 ぶどう


子供たちから解放されて、好きな男と暮らしたい。そう思う私がいたのは確かです。
この子達がいなかったら‥と何十回も考えました。
私の目線です。
5歳と3歳(ゆきちゃんと重なってしまいました)の娘たちは、私を求めていたんだと、気づきました。私は子供のことを全く考えていませんでした。絵本は、読み聞かせしてもらえないものだと思っている、うちの子供たちはひとりで読み、お風呂も子供だけで入り、私はとにかく一人になりたかった。だから、この映画は苦しかった‥。避けていた子供側からの想いが、言葉を発しない分、私の心で増長され、張り裂けるような痛みと、自戒の念で、映画館から逃げ出したくなりました。ゆきちゃんの「目」が忘れられません。
子供は誰を攻めるわけでもなく、好きな人を待つことしかできない。母親とは必要な存在なのですね。私は変わりました。

見たい・・・
2004年9月28日 パピ


仕事で中国にきていますが、ふとした事からこの作品を知りました。見たい・・・
今週、帰って土日に最後の上映とは、これも不思議なものです。皆さんのコメントを見てると、なぜか作品を見たい気持ちが治まりません。泣きたいわけではありませんが、同じような境遇の元育った自分にとっては、自分の人生を振り替えるいい機会だと思います。
子供たちの生活と大人の自我、良くある話しなのでしょうが、裏切られた私は、大人の自我が許せませんでした。その私も子供たちに何をしてやっているのか・・・
帰国したら、必ず見に行こうと心に決めました。

良かった、と言うと不謹慎な気がして。
2004年9月27日 簑島


私には3歳半の娘が居ます。
娘はよく絵を描いて、その絵には必ず家族である両親を出します。何をするにも「三人で、でしょ?」と訊きます。

ゆきちゃんの描く『ままの絵』に、私は娘を思いました。
娘を思いながら映画を観ました。
映画を観てから、いつもより娘の笑顔が輝いて見えるようになりました。

うまく伝えられないのですが、
「ワンダフルライフ」を映画館で観て、レンタルビデオで観て、DVDを手元に置いています。
今回とても“カンヌで評価された云々”よりも鑑賞を楽しみにしていたのは、「ディスタンス」は妊娠中で映画館に行けずにやり過ごしたので、今回の機会は逃さずしっかり観ようと。

終映は昼食時だったのに、3時間何も口に出来ませんでした。
明たちの存在が頭にあって、自分だけ食べる気になれなかったのです。
すぐそこにあるかもしれない世界、でも表には見えにくい世界にいる子供たち。
一緒に何か食べようよ、と言いたくなった・・・

お母さんが恋愛に走ったのが判る気がする、とか、
単純に“可哀相”と表現するには違和感を感じる子供たちの生活の様子、とか、
いろんな“外”とのかかわりが子供たちを変えて行く、とか、
まとまらないけどいろんなことを思いました。

そして、
また観たいと思いました。
彼らのことをもう少し知りたいと思いました。

ありがとうございました。

【このメッセージは作品の内容に触れています】
私は・・・。
2004年9月27日 百合奈


私は、20歳になったばかりの人間です。
名前「ゆりな」です。映画を見てきました。
タイトルに引き付けられるように見てみました。
号泣する事はありませんでしたが、涙がポロポロと
知らず知らずの間に流れていました。
柳楽君が母親同然の立場になって、どういう気持ちだったのでしょうか?そして、周りの大人の気遣いって、
こんな酷い物なのか、と思いました。
「誰も知らない」と言うより、「誰も知ってくれない」
と言う感じでした。悲痛が走りました。
そして、お母さん(YOU)の時々送られてくるお金。
とてもと言う程少なく、哀しくなりました。
しかも、本当は母親に血しか繋がっていないんです。
父親が違うのは、酷いものです。
哀しいと言うより、寂しい、憎いと言う感情もありました。
これらの子供達は、現実世界でもいるので、出来るだけの配慮もしてあげたいです。母親、又は父親が帰ってくる事を祈っています。

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我が子と重なり・・・
2004年9月27日 いちこ


映画を観てから1週間が過ぎました。
「誰も知らない」に興味を持ったのは、鋭い視線とは対照的なまだ幼さを感じさせる小さな肩の柳楽くんの写真でした。
(中1の息子に似てると思ったのも要因)
訴え掛けてくるようなインパクトのあるポスターを見て映画が観たい!と思いました。

ネットで映画のこと、事件のこと、ここの書き込みを読みました。
ショックでした。涙が止まりませんでした。
観る前からこんなにも惹かれる映画は今までにありませんでした。
半ば熱にうなされた状態で映画館に行きました。

明に友達が出来る場面・・・印象的でした。
友達の自転車の後ろに乗せてもらってるところ、夕暮れ時アパートの前で「またねー」と見送るところ、とても楽しそうな笑顔。
同年代の子どもなら経験していることが、日常的に目にする光景が、明にとっては初めての経験だったのかもしれないと思うと切なかった。
アパートに友達が入り浸るようになり、ゲームや友達の食べ物を買うことにお金を使うようになる。
散らかり荒れていく部屋。
茂が邪魔者にされても何も言わない明。
弟妹と友達の存在が天秤に掛けられているような場面。
でも誰も明を責められないはず。
コンビニで万引きが出来なかった明の前から去っていく友達。
それでも友達という存在を求める明は、2人が入学した中学校に会いに行く。
「新しいゲーム買ったから」と誘うが、真新しい制服を身につけた彼らは塾などを理由に断る。
行きたくても行けない学校からあふれ出てくる中学生を見る明の目・・・
初めての友達を失った明の気持ち・・・
やるせなさでいっぱいになった。

伸びた身長、声変わり、濃くなった産毛(ひげ)・・・明と息子がダブって見えた。
明るくてひょうきんな茂と楽天的な娘が重なった。
帰宅すると、いつも通りの子ども達の姿があった・・・いつも以上にいとおしく思えた。

このメッセージ欄で多くの方の感想が聞けたこと嬉しく思います。
映画の公開が終わってもこのサイトは絶対なくさないで欲しいです。お願いします。

無題
2004年9月27日 ちー


誰を責めたらいいのか分からなかった。映画の中での母親は子供を愛している気がした。子供達も母親が好きだった。だから涙がでてしまった。大切なモノを大切にしながら生きていきたいと感じました。

手を握りたい
2004年9月27日 taeriku


私も母の帰りを待つ子どもでした。母が仕事で遅くなる時は、祖父母の家に預けられました。それでも、いつも自分と母の家に戻りたくて、夜中脱出を試みていました。子どもの足でも歩いて帰れる距離だけれど、真っ暗な道で誰か大人とすれ違った記憶は1回もなく、遠くて長い静かな散歩でした。歩くやせっぽちの私の姿を、大人になってから思い出すと、映画の中の遠くからのカメラで捉えた明くんやゆきちゃんの姿と、あまりに同じだったので驚きました。そして、それが自分で思い出す自分ではなくて、是枝監督という第三者の視点であることに、優しく激しく心を動かされました。深い想像力に感動しました。
子どもたちの手を握りたい、隣にいる大切なひとと手をつなぎたい、そう思う映画でした。本当に観に行ってよかったです。

【このメッセージは作品の内容に触れています】
誰も知らなかった
2004年9月27日 京子


お母さん、勝手だよ。
と言った明の初めての本音が印象に残っています。
それよりも、さらに印象深いのは、母親がアントニオ猪木の話をして、明が笑ったことです。

母親が切った髪も伸びて、服も汚れて、カップラーメンを食べる。
公園で水汲みをして、トイレして、洗濯して、遊んで、家でカップラーメンを食べる。

とにかく、子供たちは必死に生きてると感じました。

コンビニで毎日買い物をして、ボロボロの服を着て、制服姿の少年を見て、親子連れの側をコンビニ袋で歩いている。

身についた明の処世術がなんとも言えませんでした。

人間が生きていくということは一体なんなんだろうなあ・・・
21歳にもなるのにわからないでいます。

誰のことも、だれも知らないのだと、私は思います。

涙が出ます
2004年9月26日 水谷 玖美子


切なくて涙が出て止まりませんでした。見捨てられたことに気づきながらも、泣くことも出来ない子供たち。悲しいのに一
条の希望に生きてる子供たち。諦めの中にあっても、生きてゆかねばならない命。大人でも持て余しそうなのに、しっかりと前を見つめてる。子供たちのまっすぐなまなざしに泣けました。ある時期の自分を重ねてみてしまいました。私も明のような立場だったことがあり、将来に対する不安にさいなまれながらも、下世話な日常をただ生きてゆかざるを得ないことがありました。その寂しさが彼の表情にダブって見えました。幸いなことは、映画の中の子供たちが、善良なことです。そうでなかったら、映画を観終わった後立ち直れなかったと思います。子供たちのすばらしい表情を撮って下さって、ありがとうございました。次回作を楽しみにしています。

無題
2004年9月26日 ほし


誕生日の日に見ました。
見ている間は時折涙が流れ、時折笑ってしまうようなことがあったのに、エンドロールが流れ始めたとたん、何かがはじけたように号
泣してしまいました。声をあげてしまいそうなくらい。
自分でも驚くほどに。。。
毎日関わっている、ネグレクトや虐待の子どもたち。
でも、そのことだけで泣いてしまったわけでもないような。。。
私の中にある、いつもは見ないようにしているいろんな気持ちが、たくさんたくさん某々をと溢れてきたような。
不思議な体験でした、

ありがとうございました。

良い映画
2004年9月26日 JUN


思春期3人の母です。 子どもを連れだって見ました。
ラストスクロールで映画館の中に淀む 言葉が出ない空気も
私達は劇場を出ると気持ちを切り替えることも出来ます。
この映画にモチーフがあるということは、
どこまでもこの空気を背負ったまま 歩みつづけている子ども達が、自分の人生として生き続けるこれからの長さを思うと
『良い映画』と感激しているのは違う気がして。
自分の気持ちを整理できないでいます。
高校生の子どもに見せることが出来たことだけでも良かった。

生きていくこと。
2004年9月26日 なおみ


淡々と綴られるその中に、たくさんの輝きがありました。

ずっとずっとせつなくて、苦しくて、たまらなくて・・・
涙が止まらなかったけれど、本当に素晴らしかったです。
生きていくためのそれぞれの世界があって、本能とか欲望、
子供達は生かされたその環境の中で、せいいっぱい、
生きていく強さがあって、求める力があって、愛しかった。
生と死とその間で、彼らは本当にキラキラしていました。

彼らを抱きしめたくなりました。
気持ちが彼らのそばに行っちゃいました。
私は彼らの母親になりたくなりました。
生きていくことは、汚くて美しい事だと改めて思いました。

あまり映画を見に行かない私の、大事な作品の1つになりました。素晴らしい作品を、ありがとうございました。
監督の、FANになっちゃいました。

【このメッセージは作品の内容に触れています】
私が持ち帰ったもの
2004年9月26日 minnminn


私の地元でもようやく観ることができました。
映画館を出たらそこは繁華街という立地なのですが
2時間前にみた景色とは全く別のものでした。
じっと立ち尽くす明がそこにいるようで、人ごみと喧騒がすごく息苦しかった。
誰とも話さず、ただ急ぎ足で帰るしかありませんでした。
”悲しい”とか”かわいそう”とかそんな言葉は必要ありませんでした。
私の胸の中に重く広がるのは”怒り”と”苛立ち”でした
4人の子供達が発する怒りや苛立ちは、子供の私が誰にも言えずにずっと抱えていたものだから
忘れたフリをして大人のフリをして生きている自分に、バスの中で気付いた時、やっと涙がでてきました。

日々報じられる想像を超える事件に、私達はその時々で驚いたり同情したりしています。
あまりの事件の多さにそのうち慣れてしまうのではないかと感じていますが、
監督の言葉「想像してほしい」、、、
まずここから始めなければ、と思います。
無力ですが、まずここからです。

考えてしまうことはたくさんありますが、
子供達の視線も、見つめる是枝監督の視線も
画面から溢れるのは常に温かく、心地よい映像でした。
ゆきちゃんのまあるい指先
茂くんの楽しい独り言
京子ちゃんの不安げな視線
明くんの頭をかく仕草、みんな大好きです。
もう少し気持ちの整理してからもう一度彼らに会いに映画館に行きたいと思っています。 

もっともっとたくさんの人に観て欲しい映画です。

【このメッセージは作品の内容に触れています】
考えさせられました。
2004年9月25日 K-T


拝見させていただきました。
近所付き合いが減ったといわれる時代なので、身近に起きても
不思議ではない世の中かも知れません。
子供を愛せないという親御さんには絶対見て欲しい映画だと思いました。

内容ではゆきちゃんがお母さんを駅まで迎えに行くシーンで、
明君の服を黙って掴んで、来ない母親を待っているシーンが
印象に残っています。
全体の映像も何か不思議な魅力がある感じでした。
いい映画をありがとうございました。

学校の映画鑑賞で親も含めて是非鑑賞してもらいたい!

気づかされたこと。
2004年9月25日 あかり


映画の余韻にひたるなか、この映画のモチーフとなった
「西巣鴨子供4人置き去り事件」について
少しネットで調べてみました

事件の事実を知り、現実の残酷さに
あらためてショックを受けました
人間はどこまでも残酷になれる・・・
救われない気持ちになりました

それから映画のことをまた思い出し
事件そのままを扱わなかった
是枝監督という人のやさしい目線に
気づかされました・・・

映画の中では大人も子供も
まったくの悪人は出てきませんでした
特に監督は子供のすばらしさを
映画の所々に表現していて
大人になってしまった私にあらためて
子供の目線で世間を見つめるという
きっかけみたいなものをつくってくれました
そんな監督に感謝しています

無題
2004年9月25日 ピュアチルド


二日前に、やっと見ることが出来ました。悲しいという感情ではなく、胸が締め付けられるような切ない思いにさせられました。それは二日たった今でも変わりません。
確かに母親が悪いと言ってしまえばそれで済むのかもしれません。でも子供たちはずっと母親への愛情を捨てることはなかった。そんな子供たちを見てしまったので、母親を憎むことは出来ませんでした。
胸を打たれたシーンは数えきれないほどあります。でも逆に勇気づけられたシーンも数多くあります。
手をとって、笑いあって、寄り添うように生きている子供たちに不幸という言葉は、決して似合わない。

【このメッセージは作品の内容に触れています】
観てよかったです。
2004年9月24日 ノーマン


この映画を観て一週間たちますが登場した子供達と道ですれ違うような気分になることがしばしばあります。モデルとなった事件を知らないのでフィクションとして観てしまいました。僕は携帯を持っていませんが電車の中にあふれる携帯の一つから、京子の持っていた玩具のピアノの音色が聴こえてきそうに思える時もあります。

この映画を見た人ならば
2004年9月24日 ルル


誰でも胸を締め付けられる想いに駆られたと思う。
私は保育士という立場から、児童相談所は?児童委員は?
地域住民は?何をしていたの!誰か、助けて!!という思いがつのり、見ていてつらかった
今から15・6年昔では通告義務の法律さえなかった。
それでも4人兄弟の絆の強さに心を打たれた。
ネグレクトが増加している、今だからこそもっと周りの人に見てもらいたいと思った。
もう、二度とこのような兄弟が出ないことを望む。
人間は誰しも、必要な存在として生まれてくるのだから。

かつて私も子供だった・・・
2004年9月24日 泣き虫母さん


カップラーメンを食べるたびに、東京という大きな森(ジャングルじゃない)に住む小動物を思い出してしまいそうです。

私は、監督は人間って愛おしいものだと思ってらっしゃる謔、に思えました。

ティーチ・インで監督や皆さんと共有できた時間は、とても印象深いものでした。
映画を見終わり能弁になるのを抑制している自分が居る一方で、頭の中では自分に対してとても能弁になっています。

胸にのこります
2004年9月24日 taeko


昨日、観てきました。
何の気なしに行ったのですが、今もまだ胸の中がいっぱいです。
お母さんの思い、明君の思い、京子ちゃんの、茂君の、ゆきちゃんの、、、言葉になって表されないけど、心の中にきっとあるんだろう色々な人の思いが交錯して、心がぎゅっと痛くなりました。子供たちの笑顔と無邪気さ、優しさに涙がこぼれました。

誰が悪いとか悪くないとかそういうのではなくて、本当なら楽しいことがたくさんあって、無邪気に守られていられる時期に、そうできない子供たちがいることがとても悲しい気持ちになりました。私はまだ子供はいませんが、ゆきちゃんくらいの年の甥と姪がいます。彼らの笑顔にはいつもパワーをもらっています。大人たちがきちんと守ってやらなくてはいけない、本当に大切な存在です。

実際の事件の記事も読んでみました。4人の兄弟のような子供たちの喜びとか無邪気さとか笑顔とかを守るために私にも何かできないか、真剣に考えてみようと思います。

まだ思い出すと涙がじわーって出てきます。
観てよかったです。

no reason
2004年9月24日 綾乃


母と一緒に誰も知らないをレイトショーで見に行きました。話は友達から聞いていたので大体想像は見る前からついていました。私は邦画はあまり見ないほうなのですが、タイトルに惹かれてみました。
映画はとてもきれいで、足や手などを効果的にとってあってより生活感・現実感にあふれていました。特に明の靴ははじめピカピカの新品。しだいに靴も買えないほどの貧乏生活。あの年の私だったら身なりを気にしてはけない、でもはくものがそれしかない。これが現実。
私はこの映画を見てとても切なかった。でも泣かなかった。たぶん気持ちが韓さん演じる中学生の気持ちと重なったから。こんな不思議な気持ちに気分になったのは初めて。理由はわからないのが不思議。数日間は、不思議な気持ちのまま過ごしました。

今でもまだ・・・・・
2004年9月24日 kei


映画をみてすでに数週間がたった。今でもまだ、日常のふとした瞬間に、この映画のことを思い出し、考えることがよくある。この映画をみて感じたひっかかりを思い出しながら、今日という日を送っていきたい。
気がつけば、もう25歳。大人と言われる年齢であることにはっとした。そんな映画だった。
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