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無題
2004年10月7日 みしま
見終わった直後にはYOUさん演じる母親の弱さを悔しく思いました。だけど、どなたかのメッセージを読み、ああ、お母さんも子供たちを愛していたんだと気付きました。どうしようもないもどかしい気持ち。
自分に出来ることはなんだろうと思います。
ばらばらになるのが嫌で自分の家族を守る明の姿は子供ではなく親の役割であるはずです。
黒柳さんのコメントのようにそっと子供の手をなでてあげられる、強い大人になりたい。
ついに!!!
2004年10月7日 mayu
今日、ここ、バンクーバ映画祭で、誰も知らないが、上映されます!!!!
待ちに待ったこの日!!!
楽しみすぎます!!!!
是枝監督は、アミューズで、ティーチインらしいので、
こないんですね。。。。。
残念。。。。。
街と子供達が輝いている
2004年10月6日 ぽらぽら
今日、観てきました。
内容に関しては、うまく感想が述べられません。言葉で説明できたらどんなにいいだろうなと思います。ただ、今まで観てきた映画の中では、1番目か2番目くらいにズシーンと胸に乗しかかっていることは確かです。
物語の主題は、とても悲しい実話がモチーフとなっていますが、私はその悲しい部分以上に、キラキラ光ったモノレールや、子供達がお皿を洗う音、街灯に照らされた道路など、そんな描写にたくさん目がいきました。悲しいけど、キラキラしている所もたくさんあるんだな・・と、そう思いました。
海外からのmsgです。
2004年10月6日 tia
こんにちは、
私はタイ人です。昨日、『誰も知らない』を見に行きました。悲しかったけど感動しました。見たあとで強くなれます。本当にありがとうございます。
やっと会えた。
2004年10月6日 OKKO
9月に行った時は、長蛇の列を見てそそくさと帰ってきた。今日は水曜日だったので1000円で見ることができた。2度もシネカノンに足を運んだことを、誰も知らない。それにしてもだ。お母さんは、どうしてあんな風になってしまったんだろう?4人の子供を産む時、どんな気持ちだったんだろう?子供達は今、どうしているんだろう?家族のいない私にとって、今日いちばん親密に感じられるのは、映画の中で出会った子供達です。
痛い
2004年10月5日 DEZ
こんにちは。
ワイドショウなどで柳楽くんが取り上げられていたのを
観覧中に思い出しました。
主役の子が中性的で何とかとかその類の事
を言っていたと思います。
映画を見るきっかけは何であっても良いと思います。
しかしこの映画について、賞を取ったとか
その程度の薄っぺらい情報しか
言えない日本のマスメディアを嫌悪します。
作品を見せて頂いて、とても怖くなりました。
最初の引っ越してルールを話し合うあたり。
僕らの当たり前ではない事があの家庭内では
さも当たり前の事と捉えられていて
無邪気にはしゃぐ幼子が怖さに拍車をかけてます。
姉が学童保育の教員をしている事からか、
現代の親子関係やら子供、大人の事情を
よく聞きます。
この元の事が実際にあったお話と言う事を聞いて
過去ではなく現在においては
こう言う事は特異な出来事では無く、
有り得て当たり前な分、
社会は歪みが出てきているのでは?と思いました。
人間の欺瞞は此所まで来て居るのかと
人間である事自体が嫌になります。
映画は2時間で終わるので好きです。
作り物だと自分に言い聞かせて
心の中で折り合いを付ける事が出来るからです。
何かしらの形で風呂敷を閉じるのでは無く
其のまま生き続ける最後に我が心の折り合いを
付ける事に苦労させられた作品でした。
心の振り幅を大幅に揺らした作品でした。
あいたい
2004年10月5日 nk
映画を観ていて
4歳になったばかりの息子に
あいたくなった
家に帰って
息子にあったら
映画に出てきたこどもたちに
あいたくなった
そして映画を観に行くと
たぶん、また・・・
息子に会いたくなるんやろな
おつかれさまでした。
2004年10月4日 misato
公開初日に観よう!と決めていましたが、是枝監督の舞台挨拶があるということなので公開2日目に拝見しました。
過酷な生活にも関わらず、母親を待ち続け生きてゆく4人に心をうたれ、切なくてあたたかい気持ちで満たされました。こどものころのあることがきっかけで、健気さを、生きてく途中で自分から捨ててしまったことを思い出して切なくなりました。
是枝監督が実際の事件をなぞるのではなく、こどもたちの支えあって生きていこうとする点にスポットを当てているところに共感を覚えました。とてもあたたかく、観終わったあとも思い出すことの多い映画でした。
超がつくくらいの地方である私の地元の、マイナー気味な映画館に是枝監督が足を運んでくださってうれしかったです。
6年前に高松での講演会でお会いした是枝監督が有名になられても雰囲気が変わってなくてうれしかった。
あたたかいきもちになれる映画をありがとう。
もう1度・・・。
2004年10月4日 ゆか
もう1度見たい気持ちでいっぱいです。
誰も知らない自分
2004年10月4日 maki
先日観た「華氏911」なんかと比べて、観客意識の所謂エンタテイメントー!という映画ではなく、淡々と過ぎ行く日々、悲しい日々。でもどうにか自分達で生きていこうとする子ども達。というより、生きるしかなかったんだ。強いとか弱いとかそういう問題じゃなくて、ただ生きるしか選択する術がなかったんだと思う。それってある意味とても残酷。現実とは、残酷なもの・・・。
でも、これは事件にまで発展した極端なネグレクトの事例だけど(実際の事件と映画ではその内容は同じではなかったようだけど)、それに近いような家庭って、そんなに珍しい話ではないみたい。爪や髪、服装が不潔な子や、夜中にカラオケボックスふらついているような小学生って、実際いる。
親が親になれていないんだと思う。身体は子を作れる立派な身体だけど、心は子供のまま、自己中心な。そういう親が増えているからこそ、地域社会の繋がりって本当に重要になってくる。と、言うだけは簡単ですね・・・。
美しい鷹のように・・・
2004年10月4日 クマガイ チホ
空は空で青いと、ちゃんと感じ取れた日々。
お母さんは優しくて大好き。と、信じていた頃。
「ああ、なんか懐かしいなぁ。」
子供独特の甘い匂いがしそうな部屋を散歩する。
子供たちの住む部屋の空気感、やわらかい光、夜の台所は、なんだか真っ暗な感じで、明け方の外のポーっとした薄明かりとか、おもちゃやクレヨンがあっちこっちにあって。
道端の花を摘んだり、ブランコこいだり・・・
もっと、お外で遊びたかったね。
私の目と心は小学生に戻って4人と遊んでいた。
とっぷりと日が暮れても「ご飯だよ!帰っておいで。」
と言うお母さんが彼らにはいない。
でも、明がいた。兄の役割だけでは済まさず、次第に父性のような責任をも背負ってしまう。あの歳で現実や社会と対峙していかなければいけない残酷さ。生きていかなきゃ、食べさせなきゃという本能がたくましく美しい鷹のように見えた。
映画を観て2週間たった今でも色々な場面が浮かんでは本当に色々と考えさせられます。
この映画を観て、世界レベルで多くの人がもっと子供のこと、社会のこと、戦争のことを真剣に考えたら世界はきっと変わるはずです。理想論じゃなくて。それだけの力を持った映画だと私は思います。
そして絵を描く人間として子供の顔をすごく描きたくなりました。キラキラしたあの時間を私なりに何か形にしてみたいと。
素晴らしい映画を本当にありがとうございました。
おとなの責任
2004年10月3日 HOSIGAME
この映画を見終わった時、とても重たいくさびが胸に打ち込まれた感じでした。子どもたちひとりひとりの表情が忘れられずに2週間後もう一回見ました。いつの間にか明や京子に感情移入をし「誰も知らない」の世界に入り込みました。私自身家庭で育てることのできない仕事をしております。おとなの責任を痛感させられました。もう一度子どもの目線にたって暮らして行かなければと思わされました。
【このメッセージは作品の内容に触れています】
混乱。
2004年10月3日 にしかわ
こんばんは。先日、2度目の『誰も知らない』を拝見しました。こどもたちの仕草、佇まいのあまりの愛おしさにそっと抱きしめたくなります。
今、ゆきちゃんは何故死ななければならなかったのだろうかと考えています。「死なせない」という選択はあったのだろうかと考えています。映画や物語のための「死」や「暴力」に誰よりも戸惑う是枝監督が描いた「死」の意味。
本当にゆきちゃんを死なせたのは誰なのだろうと思ったとき、ふとラストシーンのシゲ
ルが甦ってきました。死なせたのは母でもなく、ましてやこどもたちでもありません。ゆきちゃんを死なせたのは監督であり、映画をみている「私」自身のように感じました。
そして、ゆきちゃんが監督自身なのではないか、とも・・・。
洗練された技術でじわりと迫ってくる
2004年10月3日 久保田祐子
もうすぐ13歳になる息子を育ててみて気づいたのですが、子育ての良いところは、自分が子供時代に楽しかったことを追体験できて、自分が子供時代につらかったことをやり直せることです。『誰も知らない』も、ちょっと、そんな映画だと思いました。実際の事件を囲む楽しいことは追体験して、つらかったことはやり直しているような。
反面、子育ての悲しいところは、あらゆるものが思い通りにいかないこと。それを肌で知っているか否かによって、空腹な子どもたちが作り出す地獄絵は、まったく違ったふうに映るはずです。
その点、88年以来、ずっとこの作品を温めてきた是枝監督が、事件に対する数々の思いや解釈を、敢えてめいっぱい削って、万人に理解されやすい形にしたのは、熟練した監督であり不惑の域に達した人間である氏の表現力のたまものとしか言いようがありません。
そういう意味では、柳楽くんのカンヌは“シブい”受賞でした。脇役の子どもたちも含めた見事な演技ぶりや、それを引き出したスタッフたちを差し置いて、まだまだつぼみの少年にスポットライトを当てたのですから。
たぶん、それは「この映画を見るなら明を見てくれ」という審査員の強い気持ちの表れだったのでしょう。その意図は完ぺきに効いていたと、映画を見ながら感じました。
劇場から家に戻って早速、各種データベースに感想を投稿した私ですが、実は、あとからどんどん形を変えてじわじわと迫ってくる作品なのだとわかりました。普通の善良な人たちが、ふと迷い込んでしまった、という設定が、かえって現実味を帯びているんですね。
でも、やさしいやさしい映画なので、作品と実際の事件が彷彿させる苦しい思いにも向き合うことができるのです。
ところで、是枝監督が映画のパンフレットなどに書かれている事件に対する思いは、英語で見られるのでしょうか。世界的な注目を浴びた作品ですが、英語のサイトなどを見ていると、監督ご自身の思いが、日本語を読めない人たちに今ひとつ伝わっていないような気がして、そこだけが残念です。
二度目を見て来ました
2004年10月3日 二児の母
一度観てから明君達のことが頭から離れず、二度目観てきました。 同じ映画に二度劇場へ足を運ぶのは初めてです。 今度は一挙手一頭足、一言一句聞き洩らすまいとぐっと入りこんでみました。 一回目は嗚咽に近い泣き方でしたが、今回はそんな感じではなく、ただこども達が愛とおしくてなぜか遠足の楽しい場面でも涙がこぼれました。 ゴンチチさんの音楽やCDに載っているメッセージ、タテタカコさんの耳(心)を離れない曲、谷川俊太郎さんの詩にキョンキョンの朗読、川内さんの写真すべて好きです
赤いピアノ
2004年10月3日 ノーマン
京子ちゃんの弾く玩具のピアノの音色が聴きたくなって、二回目を観てきまし
た。ゆきちゃんが弾いているシーンもあった
んですね。帰りにスーパーマーケットでアポロチョコを買いました。
誰もが知っていた気持ち
2004年10月3日 みつき
公開される前からずっと見たいと思っていて、それでもやっと見ることができたのは最近なんだけれど、見終わってから2、3日経つ今でもあの兄弟たちは私の中で暮らしている。
あの映画に、私がいた。
明が私みたいだ、とか、京子と私はよく似てるとか、そういうことではなくて、うまくこ
とばにできないんだけど、あの映画の中にはわたしがいた。
「誰も知らない」見たんでしょ?どうだった?と何人かのひとに聞かれたけど、「良かった」「悲しいはなし」「切なくなる」とか、そんな言葉で表現できるものではなくて、だから私は「あぁー…ってかんじ。もう一回見たい」という聞きようによっては感情の薄いような返事をしていた。
でもわかってもらえるだろうか。この「あぁー…」にはものすごいいろんな感情が詰まっていることを。
今だってこうして書いていても、具体的な感想なんて書けやしない。まああの映画が私の中にあったものなら、それも当然か。
是枝作品はいつも、優しさを纏った独特の切り口で私たちに語りかけてくる。
その語りかけに私はきちんとしたことばで返せないけれど、こんな作品をありがとう、ととても監督に伝えたい。
【このメッセージは作品の内容に触れています】
誰も知らないを見て
2004年10月2日 mika
昨日見てきました。
柳楽君がカンヌで最優秀男優賞を取ったことがニュースで流れたのがきっかけで「誰も知らない」という作品を知りました。その後CMも流されるようになり見たいと思っていてやっと見に行けました☆
見た感想は悲しいというかやりきれない気持ちになりました。お母さんが好きな人がいると明に言ってお母さんは出て行った。それから電話してみたら名前が変わっていて自分だけ結婚して幸せになっていた。そのときの明の気持ちを思うとやりきれなくなります。私がもし明だったら悲しくて悲しくてどうして・・・?って言ってしまうと思う。でも明は何も言わず、会いにも行かずに自分達だけで生活していくことにした。お金もなくなってしまってお腹がすく、洋服だって汚くなっていくし学校にも行けない。でも明はみんなにお母さんのことを言わないし心配させないようにお年玉をお母さんからもらったよと言って渡す。京子は前にもらったのをとっておいたから筆跡が違うからお母さんからのじゃないと気づいていた。だけど何も言わない。心の中では帰ってくると信じたかったんだと思う。そんな中妹のゆきちゃんが死んでしまう。お母さんに助けを求めて電話したけどお金がなくて切れてしまい、自分で遺体を埋めに行ったところは涙がにじみました・・・。私は母親はひどいと思った。お金だって毎月送ってくるわけじゃないし子供達を置いていってしまうのは最低だと思いました。この映画は悲しいという気持ちだけでなく考えさせられる作品だと思うからみんなに見てほしいなって思う。なんかめちゃくちゃな文ですみません!!
怖気づいてました。
2004年10月2日 ジェイソン
誰も知らない。見ました。
前売り券を買って一ヶ月位経ってから見ました。正直言って物語に怖気づいていたと思います。
予告編を見た時、画からにじみ出てくるリアルさに怖気づいたと思います。
子供と一緒にいても見過ごしてしまう表情を製作者は見事に映し撮って、僕らに垣間見せてくれました。
やぎらさんの演技は問答無用で、ひえいさんもももこさんも、あゆさんもかんさんもどの一人が欠けてもいけない。あの風景には彼ら彼女たちが必要不可欠でした。
僕は寺島進さんが人一倍好きだという訳では無いですが、すばらしかった。あの日出会った野球のコーチは、明が強くなるきっかけを与えた一人だと思いました。あの大きな手に包まれてバットを振った時、彼は力強い男になったのだと思います。
この映画を観た後ではタテタカコさんのあの唄は、僕の涙のスイッチなってしまったのではないかとちょっと不安です。
暴力はなかったけど
2004年10月2日 掃除嫌い
高校生のときから一人暮らしをしてます。
うちの幼い頃は、茶わんは飛んでくるし、風呂に沈められるし、掃除機のパイプで殴られ、それが折れてまたおこられ、あんたのせいで(パイプが短い掃除機で腰にくるのか)掃除が辛いとこぼされてました。
映画での母親は暴力はありませんでしたが。
それが救いでした。
もし、暴力があったら、途中でやりきれなくなって退席してたと思います。
正直、親の仕事の関係上の理由でしたが、一人暮しはほっとしました。
今では親とほとんど連絡を取っていません。
でも、まだ幼い子にとって親と離ればなれとは、どんな気持ちになったらいいのか、答えが出なくて頭が混乱してます。
また、子役の演技が自然でした。
撮影に関わった皆様おつかれさまでした
何だろう、この気持ち
2004年10月2日 カオル
3日前にようやく観に行くことが出来ました。
2時間半という長さを全く感じませんでした。
どなたかも仰ってたと思うんですが、映画を観ているというより、ドキュメント番組を観ている様な、そんな気持ちになりました。
この映画は実際に起きた事件をモチーフに描かれているということですが、今でも沢山起きている幼児虐待の中でも、養育を放棄するのが1番酷いのではないのでしょうか。自分がお腹を痛めて産んだ子を「捨てる」のですから。
あたしは妊娠はおろか子どもを産んだことすらありません。でも、将来自分の身にも訪れるかもしれない、子どもを産み、育てるということが怖くなりました。
キャストの5人の子ども達、良かったです。特に柳楽優弥君と韓英恵ちゃんの、大きくてまっすぐな瞳が強烈に印象に残っています。
(韓英恵ちゃんは前から本などの表紙モデルとして知っていたので、何か嬉しかったです。「英恵ちゃんが出てる!動いて喋ってる!」って)
あの後、4人になった子ども達がどうなっていくのか、考えずにはいられません。
是枝監督、キャスト、スタッフの皆さん、お疲れ様でした。
そしてありがとう。
【このメッセージは作品の内容に触れています】
心にずっしりと
2004年10月2日 taepiki
待ちに待って、やっと見られました。私の街では上映開始が遅くて。。
二時間半、まばたきするのも忘れるくらいスクリーンを見つめ続けていました。
そして最期のシーン、え〜っ、これで終わり〜?! 悲痛な気持ちでした。
物語は私たちの心に重くのしかかったまま終わってしまう。
みんな無言でうつむいて帰って行きました。
今振り返ってみると…やっぱり「明」の存在が秀逸です。
雑多な下町のありふれた日常が延々と続いていくのに、見る人をぐいぐい引っ張っていくのは明の眼差し、明の表情。
フォーカスは常に明に片時も離れずついて行き、見る人もじぃ〜っと一瞬も目が離せず見守り続けてしまう不思議な引力。
言葉少なく控えめな印象の男の子、明は、言葉で表現するよりももっとたくさんの、もっと深く重いものを、私たちの心にずっしりと投げかけ、味わわせてくれます。
小さな部屋に閉じ込められていた弟妹たちを外の世界に連れ出そうとする時の明の、輝くような素晴らしい笑顔。
かけがえのない大切なものを失い、深く傷つき…それでも前を向いて歩いて行くしかないんだと見上げる明の表情は、とても言葉で形容できるものではなく、ただただ心でそのまま受けとめるしかありませんでした。
最後のシーンで、小さな弟がうしろからちゃんとついてきているかどうか気遣って、何度も何度も振り返る明の、まだ子供らしい後姿がいとおしくてせつなくて、目に焼きついて離れません。
あれから、たった500円のお金を見ても、これだけあったら明はお母さんに連絡できたのにと思ったり、○千円の食事代を払う時に、これだけあったら明たちに何を食べさせてあげられるだろうと思ったり。着るものや髪型なんかにこだわることがあまりにもばかげたことのように感じられて……本当に大切なものはなんなのか、幸せってほんとはなんなのか、明たちがど〜ん!と重い問いかけをしてくれたような気がします。
今、私のパソコンのデスクトップで、ボロボロTシャツ着てじぃっとこっちを見つめてい
る明。ボロT着ててもなんの飾り気もなくても、その目・その表情は無垢で純粋で、存在自体が輝きを放っているみたい。
明のおかげで価値観ががらりと変わってしまいそうです。
すごい映画ですよ!
事実
2004年10月2日 はつ
10月1日、見てきました。ずっと見たかったので、やっと見ることができて嬉しかったです。
この映画を、「良かった」とか「子どもたちがかわいそうで」とか、そんなふうに言えま
せん。私はこの映画から、「事実をもらった」のだと思います。
実際に起こった事件をモチーフにしているとはいえ、細部はフィクションであると冒頭にありましたが、少なくとも映画の中の、あの部屋で、あの街で彼らは間違いなく生きていました。それは事実です。
「わたしたちは、いました。」の言葉通り、彼らは存在していました。生きていたという事実を、淡々と描いていたように思います。
ただそれだけで、それが全てだったのだと思います。
また見たいです。良い映画をありがとうございました。
家族
2004年10月1日 sara
この映画を見て、昔のことを思い出しました。
私がまだ小学校1年生だったとき、夜中に弟2人と、3人きりで留守番をした日がありました。
私が、まだ赤ん坊だった下の弟を寝室で寝かしつけていたら、上の弟は、私たちまで居なくなってしまったと思い込んで、近所じゅうを泣きながら駆け回って、私を探したことを思い出しました。
今はもう、そんな小さな弟も、私より大きく成長しましたが、小さな頃のように、ぎゅっと抱きしめてしまいたくなりました。
家族が、より愛しく思えた、そんな映画です。
心配なので見に来ました
2004年10月1日 takasi
はじめまして。
先ほど、横浜での上映を見終わった者です。
私は5人の子供達が心配になって急いで帰ってきて
このサイトを見つけ、撮影の合間の元気な姿を
見て安心してしまいました。
映画の世界と現実は違うことは知っていますが
本当に違うのでしょうか?
生きているのは大人だけなのかと思う
事件が続きます。
まだ噛み砕ききれていない作品ですが
もう少しこの余韻に浸るつもりです。
太陽の目。
2004年10月1日 さすらいまにあ
バンクーバー映画祭。
満杯の映画館で涙をこらえながらこの作品を鑑賞しました。
誰も知らない子供たちだけの暮らし。
大変な状態ではあったけど、
一瞬一瞬がとてもまぶしく輝いてました。
悲しいお話ではあったけど、
あの子達がちょっとうらやましかったです。
あたしが子供のころ、あんなにも目を開いて、
いろんなものを見ようとしてたのかな?
家に帰ると、スケッチブックを開いて絵を描いてみました。
【このメッセージは作品の内容に触れています】
よかった
2004年9月30日 優
私と2つしか違わない、まだ14歳の少年が初めて主演男優賞を獲得したことが話題になり、「いったいどれだけの魅力を持った子なんだろう」それだけが気になって見たこの映画。16歳の私が見て感じたこと。自分の母親に憎まれ口を叩いてしまうことへの反省と、親に養ってもらっていることの実感と、一人っ子である私に愛情を注いでくれる両親への感謝。これらを、私はこの映画を見た後、深く考えた。内容が悲しすぎて涙こそ出なかったが、母親の言葉を信じるゆきの真っ直ぐな心、明るい心の火を決して絶やさなかった茂、お年玉をくれたのは母だと嘘をつく明を責めることをしなかった京子、そして何よりも死んだゆきとした約束をきちんと果たし、兄弟の中心として頑張りぬいた優しい明。ときに叱ったり、妹弟に嫌な態度をとってしまったこともあったけど、やっぱり明は優しかった。この4人とこの夏出会ったことを、私は絶対に忘れない。私が高校でしてる教科書と黒板とシャーペンの授業よりも、もっと大切なことがそこにはあった。この映画を、見てよかった。1500円が、すごく価値のある1500円になった。英恵ちゃん、萌々子ちゃん、飛影くん、愛ちゃん、優弥くん、そして是枝監督。あなた達が大好き。
【このメッセージは作品の内容に触れています】
生きてて欲しかった
2004年9月30日 rihe
今日、やっと映画館へ行けました。
子供達も一緒に行きたいと言っていましたが
私は1人で行きたかったので子供達には黙って
学校へ行っている間に見にゆきました。
正直、子供が一緒でなくて良かったです。
涙が止まらないのです。一緒だったらきっと
子供達が「どうしたのか?」と心配したでしょうから
私は子供達に愛されています。いつもそう確信できます
私の子供達はどうでしょうか?私にいつも愛されていると
確信できているでしょうか?不安になりました。
スクリーンの中の子供達が、お母さんを好きでなかったら
あんな事件は起こらなかった気がします。4人とも皆きっと
お母さんをとても好きだったんですね、自分達が愛されて
いるかどうかは問題ではないのです。ただお母さんのことを
大好きでいたかったのではないでしょうか?
親が子に注ぐ愛は無償の愛といいますが
子が親に注いでくれる愛こそが無償の愛ではないでしょうか?
彼らの目に見返りを求める気持ちは一欠けらもありません
ゆきちゃんの可愛い笑顔、かかとの出た小さなサンダル。
歩くたびにピコピコと鳴る音、大好きなアポロチョコ
彼女に生きていて欲しかった。
生きるということ
2004年9月30日 あい
映画のこどもたちのキラキラした感じは、悲惨な日常をそれでも逞しく、ささやかな幸せ
を見つける途上国のこどもたちに重なった。
人間は目に見えるものが足りない時、生きることを知るのかな?と思った。
そして目に見えないことがとっても大切なんだって思った。
手の温もり、周りにある自然、遊び、何か工夫すること、友達、愛。
先進国と呼ばれる私たちの生活はそれらを失っていってしまった。少しでも取り戻したい気持ちになった。
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