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誰も知らない
2004年10月13日 かんどーした!
えっとぉー最後の方がかんどーしました!!
こんなすばらしぃ作品ぉありがとーぅ!
不思議な映画経験
2004年10月12日 solon
昨日、見てきました。映画館から出てきてすぐ思ったのは、「何ていうのかなあ〜」という、すぐに言葉として感想が出せないもどかしさでした。それでも肚のほうにドゥアーンという重いものが来る感じがあります。そして、夜はずっとこちらの感想メッセージを読みふけっていました。
私の印象に残っているシーンと言えば、こちらのメッセージでもかなりの人が指摘されていた、初めてきょうだいそろって出かけるときの明の笑顔と、上から見おろすように撮ったユキちゃんのあおむけの笑顔でした。特にユキちゃんの瞳の美しさは、人を信じきる目の輝きから来るものでしょうか。
置かれた環境、状況は言うまでもなく悲惨というか地獄的なのに、彼らの見せる表情はまるでそれらの状況にそぐわない、というか状況に屈服していない。その一つひとつがまじり気のない喜怒哀楽そのもの。それは、こちらでも多くの方が指摘されていたように「生きること」、「命」そのものなのでしょう。だから、あの圧倒的な「生きる」に向き合ったとき、だれもが語るべき言葉を失ってしまう。
この映画は、人に口をつぐませる。多くを語ればすべて欺瞞のにおいを感じてしまうような、そんなつくりの映画だ。例えば、母親はなぜああなったのか、父親に責任はないのか、あるいはもう少し地域社会や行政がしっかりしていればというような、そういった責任問題や社会問題などのような次元ではつくられていない。もちろん、そういった形で見ることを決して拒否しているわけではないけれど、そういうところとはまるで別の次元の目線で撮られている。
この映画は恐らく見る人の心を映す「鏡」なのかもしれない。というのは、この映画に何かを感じて訴えようとしても、その問いかけ自体のこたえが、既に自分の中に生まれてしまうという経験を何度もしたから……。そして、結局、論理的な質疑応答・自問自答はほとんど無力化されてしまい、ただただ大きな「受容」の波をかぶるしかないのだ。
私にはとても不思議な映画経験をさせてもらった、そんな映画でした。深謝。
母性
2004年10月12日 yoriko
京子ちゃんは洗濯ばかりしていますね。
母性と現実を感じます。
見習いたいです。
【このメッセージは作品の内容に触れています】
忘れないうちに
2004年10月12日 yoriko
10/11のシネカノンのティーチインに行って来ました。
めったにない機会だと思ったので一番前で映画は見ました。
質問も聞いていただいて、是枝監督からお答えをいただけました。
とても満足しています。
でも・・・まだあるんです。質問。
聞いてもいいですか?
ゆきちゃんが公共料金の取立ての人が帰ったあとの、
明くんのそでをひっぱって明くんを見上げ見つめた瞳と、
茂くんが最後のシーンの直前、明くんの半そでをひっぱり
やはり明くんを見上げ見つめた瞳は同じものですか?
みなさんのメッセージを読んでいると、そのメッセージに
さらにまた新しい感想が私の中で生まれます。
みなさんのメッセージを本にしてもらえませんか?
私の中でとても大事な作品となったので。
一番聞きたかったことかもしれません。
この映画が答えなのかもしれません。
衣食住満ち足りた環境で、でも親と一緒にいられない子供と、
何かが欠けていても、それでも親と暮らせる子供、
どちらが幸せなんでしょうか?
どちらも揃っているにこしたことはありません。
私はみなさんや監督のご意見が聞いてみたいです。
ティーチインありがとうございました。
2004年10月12日 むぎ
昨日、ティーチインへ行ってきました。
是枝監督、質問にとても丁寧にお答えいただきありがとうございました。監督の誠実なお人柄にふれることができ感激と興奮でいっぱいです。
私はティーチインに参加するのははじめてで、まして人前で手を挙げて発言するなんて小学生の頃だってはずかしくてできなかったのに、手を挙げずにはいられなかった。私をここまで突き動かした『誰も知らない』と是枝監督に出会えてとても幸せです。映画の世界を知ることで、今まで見えなかったものが見え始め、触れようとしなかったものに、触れようとしている。自分の心が豊かになっていくのを感じます。おおげさですけど、生きててよかった…って感じです。
まだまだお聞きしたいことがあったのですが、次回のティーチインまでガマンして待ちます。
監督、お忙しいのにありがとうございました。
ハンガリー(…だったでしょうか?)お気をつけて行って来てください&有意義な時を過ごされますように。
向こうの人々にも温かく迎えられる監督と『誰も知らない』の姿が目に浮かびます。
3児の母より
2004年10月12日 Chiaki
楽しみに待っていた佐賀県での上映!
夫に子供達を預けて、夜9時上映に一人で行きました。
だんだん、明たちの世界に引き込まれていき、一緒に悩み、どうやって食べていこうかと、明と一緒に悩んでいる自分がいました。でも現実は。私は小学生と4歳の子どもの母で、最後には母としての立場で明たち兄弟を見ていました。「ごめんねごめんね。大人は何も気づいていないんだね・・・。」って。
家に帰り、夫にストーリーを泣きながら話しました。
「誰も知らない」に興味のなさそうだった夫も、目を赤くして聞いてくれました。
この「誰も知らない」は、今の世の大人達みんなが見るべき映画だと思いました。
家に帰り、幸せそうに寝入っている我が子三人を、抱きしめました。
混乱しています
2004年10月11日 ゆたか
私の住んでいる地方では昨日から公開となり、さっそく見てきました。見る前から当サイトで皆さんの感想を読んでおりました。そして今、私は混乱しています。皆さんのように言葉で上手く表現できません。でも、何か書きたかった。観終わっての気持ちの揺れを伝えたかった。
家に帰ってから、作品のきっかけとなった事件を少し調べて、事件の概要だけは知りました。そうしないとこの作品を自分の中で整理できないと思ったからです。そしてあたりまえの事ながら、現実とは違うんだな・・と自分の中で区切りをつけました。
悲惨さをできるだけ抑えて、子供たちの命の輝きを、日常にあふれるささやかで豊かな時間を、そして私達大人や社会に与えられた役割をあらためて教えてくれていると思います。是枝監督の願いが、作品の中のわずかな希望に込められていると思いました。
余談ですが、夜の10時頃家に着くと、10年程前に突然息子(私の兄)を亡くしている母(70後半)が私の帰りを心配して寝ずに起きていました。
親子って、いったい・・・。
是枝監督、ありがとう!
2004年10月10日 sara
13歳になる一人息子を、NASAのプロジェクトに参加をしている学校に、寮生として送り出して半年。
親子離ればなれは、思っていたよりもキツイです。とくに、親の方が。と言う状況下で、映画を見ました。
涙って、一度溢れると、幾筋も同じところを、河の様に流れるのね、ガンジス河の様に。
中学生の友人に「新しいゲーム買ったよ」って云う台詞悲しすぎる。ずっと室内で暮らしていた幼い子供達が、外へ飛び出した時、まともに走れるのかどうか心配!!佳境の場面の夏のシーンは、冷夏の影響のせいか、朦朧とオブラートがかかって独特な、ずっと秋の感じ。全編とても素晴らしく、詩人の友人に感動を、伝えました。すぐに返事がきて、スコットランドの国民詩人、ロバート、バーンズの「何と言おうと人は人」の一文を教えてくれました。
休暇で息子が帰省した時、もう一度、一緒に見ます。
「モノより思い出」も、是枝監督だったのね、世の中、本当に知らないことがいっぱい!
タイより
2004年10月10日 なつ
私はタイ人ですから、日本人の事、日本の文化、色々な事ちょっと分からないで。
だから、この映画見た後で、気持ちがいっぱいです。ちょっと悲しいけど楽しみに
すごい子供たち、みんながすばらしい
台本も、テ−マ曲も良かった
私はこの映画が大好きですから もう一度見に行きたいです。
スタッフのみんなサン、君達が「すごい!」
よろしくね、
たくさんのひとに
2004年10月10日 ひつじ
リアルな日常と、自然すぎる演技が、正直痛かったです。
映画を観ている人のほとんどが大人でした。
もっともっと、子供を持つ人、これから親になる人に観てほしいと思います。
あのまっすぐで正直な瞳に、応えてくれる大人はいないと思いました。
暴力はなかった。けど、あの空気や時間が、無神経な暴力のように感じます。
タテタカコさんの歌声が、綺麗なのに心に刺さりました。
観ている瞬間よりも、後からぐっとくる映画でした。
だから、今思い出して、たくさん泣いています。
勇気を今
2004年10月10日 ゆうき りえ
映画を観たのは5年ぶり、
この映画のインタビューをテレビで見てすぐに観たかった。
そして、1ヶ月後に実現出来た。
ことば(会話)が少ない点、動作や
子供たちの顔から内面を自分がどれだけ読めたか?
もっと、もっと言いたい事が
いっぱいあったんじゃないかと思う。
イメージはずっしりと残っているけど、
こどもの声をいっぱい聞きたかった。
この点其々考えなくっちゃいけないとこなんだろうけど
自分達の身の回りと同じ街と音を聞きながら、
今の豊かであるはずの生活が、何も役に立っていないってことが腹立たしく感じた。
また、私たちは何に向かって、今の時間を慌しく過ごしてしまっていたのかと空しく感じた。
本当に自分の思いを伝えるって難しい。
自分の思ったことは表現する為には勇気がいる。
一人では何も出来ないけど、一人から出来ることからやるしかないなって今から。
無題
2004年10月9日 優
良い悪いではなく誰しもが見るべき映画なのではないかと思いました。明の健気な言葉や、行動に胸が締め付けられました。二度と見たくない気もするし又見たい気もする。泣いてしまいたいけど泣くのを我慢してしまうようなそんな不思議な感覚を覚えた映画でした。
最後に子供たちがどうか幸せでありますように...
この国の人々がたどり着いた場所
2004年10月9日 恵太郎
この作品は劇映画ですが、立派にドキュメンタリーとして成立していると思います。
この国が、この国の人々がたどり着いた場所を、
活写できていると思うからです。
登場する大人達の多くはこども達を見ていません。
ただごく限られた若者たちが、彼らを見ますが、
かすかに彼らに触れるだけなのが印象的でした。
小学校高学年から中学生位の子供達に見て欲しいです。
多くの子は、この話の芯の部分には達し得ないのかもしれません。
ただ一部の子には届くのでは無いかと、思うのです。
その子達がなんと言うか、聞いてみたいのです。
”誰も知らない”見てきました。
2004年10月9日 いとうきょういちろう
見て参りました。涙を誘われました。胸が痛くなりました。映画の世界として描かれていることだけれども、実話をもとに作られているというだけのことがあってなのでしょうか、「他人事ではないなぁ」と思いました。映画とは関係ないのだけれど、撮影の行われた高円寺近くには友達が暮らしているので、今度連絡取ってみようと思いました。
子どもたち一人一人を、製作者の皆さんが愛情を込めて描いている様子が伺え、とても胸の詰まる話ではあるのだけれど、不思議とおかしさや懐かしさを誘われました。また、YOUさんの演じる母親に腹立ちも感じたりしながら、それでも、なんだか日本の街の様子がとてもよく描かれているような気がしました。
私は長崎市の郊外に暮らしているので、2003年の7月に長崎市で起きた事件が発生してから、ちょうど”誰も知らない”に登場する子どもたちと、そんなに変わらないくらいの年頃の男の子たちが、周りの大人たち誰からも声をかけられることもなく、ただ防犯カメラの映像に歩いている姿が残っていたと伝えられているアーケードや、そのすぐ近くの中島川にかかる鉄橋の上や、事件の起きた駐車場の近くを、「あの子達はここを通っていったんだなぁ」なんて暢気なことを思いながら、さるくことがあります。
私はあの子達のことを知りませんでした。映画の中で描かれる街の様子は、子どもの視点で世の中を眺めると、こんなふうに見えるのかなぁ?と思わせるに十分なものでした。以前「ヌ−ドの夜」という映画を見たときにも、「街の様子がよく描けているなぁ」と思ったことがあったのですが、それとはまた異なる街の様子が描けていると思いました。カンヌでの上映の後、拍手がやまなかったというのは、本当だったのだろうと、疑うつもりもないのだけれど、そう思いました。
なんか、幼い兄弟が亡くなる事件が最近起きたこともあって、ほんとに「他人事ではないなぁ」と、思いました。私は、学校や家庭に居場所が見つからず、映画館にばかり出かけてきたような気がしますが、映がの世界で描かれることも、どこにも他に行くところのない子どもが描かれて、「ああ、これが日本の現実なんだなぁ」と思いました。空を飛ぶ旅客気の中にも誰かがいて、ここにも、そこにも、誰かはいるのだけれど、「目の前にいる子どもの姿が見えていない」なんてことがあるのかもしれない、と思いました。でも、このホームページを訪ねて救われたのは、ゆきちゃんや茂君を演じた子どもたちの絵に、自分と周りにいる人たちの関係や身体の感覚がしっかりと描かれていることでした。この映画の撮影に参加した子どもたちは、とても健全な発達をしていることが伺えました。
【このメッセージは作品の内容に触れています】
是枝さん読んで あなたの怒り すきだ
2004年10月9日 孔雀
涙がない
朝起きる時に母親が流すひとつしずくの涙しかない 渇いている
YOUが出ている時のこれはフィクションなんですよという
世界から母親が去ってからの子供だけの世界のリアリティに引き込まれていく構成のすばらしさ
ただだまって耐え続ける兄妹たちの姿にどんどんとなにかが溜まっていく
見ているとどんどん溜まっていく
あのまばゆい庭 の光のあまりの美しさ
涙が染みだすような感じだ
ラストシーンもいい
でもいちばん大切な最後のシークエンス
妹の死だけはだめだ
実際の少年は知らない、だけど柳楽優弥はもうすでに
あの心に焼き付く美しい笑顔の妹を助けることができたはずだ
いくら精神が追い詰められていたとしても
母親に助けを求めることができなくても
彼なら救急車呼ぶなり助けようとしたはずだ
それによって彼等が引き裂かれることになったとしても、
もしたすけることができなかったとしたらそれには理由が必要だ
でもその理由は描かれていない、だから僕は納得できない
ゆきは死ぬべきじゃなかった
もっとも死んでほしくないひとが死ぬという映画のメソッドがあったとしても
是枝はだめだと思った、でも終わった後パンフレットで、実際に末娘の死で事件が
幕をとじたと知るが、映画は現実に補完されてはだめだ
もう映画のなかの少年はそこまで生きていた
現実を映画が超えるべきだった
この映画はなにも起こらないまま終わるべきだった
もうそれまでに充分すぎるほどすばらしかったのだから
まばゆいうつくしい光の庭と光の部屋
そこで暮らす兄妹たちの心を射抜く表情の美しさ
それはタテタカコの宝石がうたう
澄み切った空みたいな空白感のように
それでも事実にそって描きたいというならそれは演出力不足だ
それはきっと是枝監督もほんとはわかっていたんだ柳楽優弥はもう妹を助けてしまうぐらい強く映画のなかで生きづいていたことを、
だけど彼は踏み越えられなかった、だからリアリティのない事実をなぞるだけの、そして人の死で終わるというもっとも安易な構造の
演出になってしまったんだ
現実に支えてもらってはいけないんだ 哭け
だから柳楽優弥は最優秀男優賞で作品にはなにもなかったんだ、あと一歩ですごい映画になっていたのに、いやそれでもすばらしい映画だった口内炎が治るぐらい集中して見たよ
無題
2004年10月8日 khunchay
Hi, I'm from Bangkok, thailand. Nobody Knows show on only theater
in thailand. I and my friends went to see on last wednesday. It's
one of good movies that I like. The movies show some different of
culture between Japan and Thailand, but some thing same.I'm a big
brother of one younger brother.I think , if I meet the event like
Arkira, I can't do better like him.
I can't read Japannese.I use experience of web site to post this message.
Thank you team of produce and team of actor for your production.
Cheer up you to produce next good production.
学校に行きたい
2004年10月8日 アイクン
私にはよくわからなかった。映画の内容ということではなく、なぜ明が兄弟の面倒を見続けるのか、どうして兄弟で生活することに固執するのか。なにもかもが私の感覚では理解できない空間で展開されていた。「なんで?」と何回問い直してみても私には到底答えなど分からず、だた「見る」しかできなかった。
とても現実的だがこの映画を自分に引き付けて考えると、やっぱり私は学校に通えてよかった。「学校に行きたい」という言葉がとっても私には重かった。
【このメッセージは作品の内容に触れています】
せつない
2004年10月8日 中嶋 彩
昨日、初めて見ました。
せつなかったです。
「明が野球をしているところ」、
「女の子がつくってきたお金を振り払って、
明が走っているシーン」
がほんとに切なかった。
普通の男の子が経験している当たり前の日常が、明は送れていないという事、明にとってあの野球をしている場面が特別の事になっているという事が切なかったです。
是枝さんの映画の中で一番好きな映画でした。
今までの映画は、私の中では映像の美しさはあっても、いまひとつ登場人物の気持ちが伝わってこなくて、心に残るということはなかったけれど、「誰も知らない」は本当にひとつの物語と、一人の人生を見たという気がしました。
やっぱり、明が一番良かった。
あの現実を生きていくしかない子どもの悲しみとか葛藤が自然と伝わってきて。
北浦さん(役名?)の声のトーンが良かった。押入れ?に入っていたのを明に見つけられたときの無気力で絶望的な感じも、リアルでした。
韓さんの良さはいまいち惹きだされていないように私は感じました。
お金持ちの家の子が、あそこまで荒れた家に入ってこれるかなぁとか。いじめられていて、学校に行っていなくて、そこから明の家に行くまでの2人の心の共感みたいなものが、もっと深く描けていたら、明と一緒にトランクを埋めに行くのもわかるし、帰りに2人が電車に乗っているシーンもリアルに迫ってくる感じがあったと思います。でも、その辺りの描写が薄くて、あのシーンの明は良かったけれど、韓さんにはあまり心がついていかなかったというか、違和感を感じました。
でも、本当に心に残るいい映画でした。
そして、今ももしかしたらこういう子どもたちがいるかもしれないと思いながら最後のシーンは見ていました。
(p.s.韓さん起用はリサ・ヤンを意識してますか?
是枝さんの話が聞けて、良かったです。)
孤独ということ
2004年10月8日 n
今日の渋谷・ティーチインで4回目の鑑賞です。
これほど観るたびに違う感想をもち、感慨にふけることのできる作品は初めてです。
子供たちを置き去りというある意味エキセントリックなシチュエイションではありましたが、この夏以来私の子供時代はもちろんこれからの子供たちのことを深く考えさせ(続け)る良いきっかけになりました。
たとえ社会的に目立つ行動をしないとしても、存在すら誰にも知られないなんてこんな哀しいことはないですよね。
でも、世の大人たちの多くが物質的には子供たちより恵まれていても、実は精神的に孤独な人たちも十分多い気がするのです。
今日、いつも揉まれているはずの渋谷の雑踏で、こんなにいっぱい人がいるのにどうしてこんなに寂しいんだろう、とも思いました。
フィクション、想像、ということを随所でおっしゃっていらっしゃいましたが、子供たちの行き着く先を「安直な絶望」にされなかった是枝監督と、そしてこんな記念碑的な映画を見事に作り上げられたキャストを含むスタッフの皆さんにお世辞抜きにありがとうございますといいたいです。
【このメッセージは作品の内容に触れています】
素通り
2004年10月7日 由季
生きていれば、同い年くらいだったであろう「ゆき」に呼ばれて映画館に行きました。
事前に事件のことを「予習」してしまったのは失敗だったかもしれません。左脳で観てしまった気がします。できれば、彼らの気持ちになって見たい映画でした。
あらすじだけ読んだ時はもっと哀れを誘う映画かと思ったのですが、不思議と生きているものにしか出せない華やぎが心に残っています。対照的に、ゆきの死があまりにも重く、暗くのしかかりましたが。実際に14歳の男の子に降りかかった「死」を考えると胸がいっぱいになります。
出来事の大きさに、大人すら無力に見えました。幼い彼らに対して「可愛い」「どうしようね」と言いながら素通りしているようでした。それでは許されない、かといって私にも答えは見つかっていません。繰り返されてもおかしくない、という嫌な予感や罪悪感が募ります。
誰も知らないを拝見して・・・
2004年10月7日 Anne
今日、誰も知らないを観ました。その後、ティーチインがあって観客の方たちと是枝監督のやりとりを拝見しました。映画そのものに関してはこれで3回目なのですが、見るたび感じ方が変わります。そしていろいろ考えてしまいます。ティーチインに関しては心をこめて作られて世に出された作品を見る側の人たちもじっくり観て感じている風景がまたよいなあと思いました。行って良かったです。ありがとうございました。
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