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地方にも
2004年10月25日 鹿児島県人
カンヌで主演男優賞を受賞したのは、なんと日本人で、しかもまだ少年だとテレビで知りました。
初めて聞く名の俳優。
どんな映画なんだろうという興味はありましたが、テレビで映画の紹介を見たときに、「見たい」気持ちが強くなり、鹿児島での公開はいつだろうかと思ってました。
ところが、今知ったのですが、現在上映されてたけどもう2〜3日で終了しちゃいます。
仕事でなかなか鹿児島市内に出向くことが出来ずに、困っています。
地方でも上映してくださる機会はないのでしょうか。
CSで今月放送されたようですが、両日、もちろん仕事の私などは見ることが出来なかったです。
せめて、放送期間を長くしてもらえたらと残念でなりません。私は中二の息子に見せたいのもあるし、中一になる姪っ子も見たいと言ってました。
この映画はすべての年代の方に観られるべき映画だと思います。
独り暮らしの老人が亡くなっても何ヶ月も気づかれない事実もあるし、いろんなメッセージとなってみんなに投げかけてくれる映画ではないかと思います。
是非この作品を早く広めていただけないでしょうか。ビデオDVD化でもいいので。
From Webmaster:
「誰も知らない」ビデオ・DVDは来年発売の予定です。詳細が決まり次第ウェブサイトに情報を掲載いたしますので、しばらくお待ち下さい。
よかったです。
2004年10月25日 qianya
今日、やっと観ることが出来ました。一言で言うと「4人の子供達がかわいそう」でした。お金のほとんどない状態をカき抜いていくという過酷な状況下でも3人の弟妹を守ってあげなきゃいけない、という明が健気ですっごく輝いていました。兄妹が皆別々になりたくないからという理由で警察にも児童相談所にも相談せず、自分でなんとかしようっていう態度と行動力はホントにすごいと思います。みんな幸せになってほしいです。
スーパーマーケット。
2004年10月24日 綾
私の地方では昨日から公開だったので、今日観に行ってきました。
すっごく泣きました。ものすごく泣きました。
子供たちがあのような状況になったことに、ではなくて、子供たちがあのような状況のなかで必死に生きていたことに対して涙が止まりませんでした。
子供たちがやっているしぐさや行動なんかは、私も「あぁ、子供のときはこんなのしてたなぁ。」と思いながら見ていました。例えば、ゆきちゃんがお兄ちゃんと手をつないで駅から帰ってくるシーン。白線の上をなぞって歩くとこです。ほかにも映画の中には自分も体験した子供らしい場面がたくさんあったように思います。
この映画を見終わったあと、スーパーに寄って帰ったのですが、「お兄ちゃんもこうやって一人で買い物に来ていたなぁ。」と思うと、また涙が出そうになりました。そのスーパーにはアポロチョコも置いていました。
言葉にはうまくできないけど確かに心に、いや、もっと深いところに残る映画―――それが「誰も知らない」だと思います。
尾を引く観後感(?)
2004年10月24日 ten
初めまして。
カンヌのニュースでこの映画のことを知り、「観に行こう!」と決意したにも関わらず、日常に追われて、ぎりぎり滑り込みで、鑑賞させていただきました。
本を読んだあとの感情を『読後感』という様に、映画にも同じ様な言葉を当てはめることが出来るとしたら、何とも言えない尾を引く観後感が続いています。次から次へと様々な思いが込み上げて来ます。
例えば、大家さんが、『これくらい大きければいいんですが、小さい子は近所にうるさがられて・・・』と言う台詞や母親が次男に『あんたがうるさくしたから、前の家を出ることになった』と言うのを聞いて、今の日本に、いや、東京に、子どもの暮らす余地はないのかと思いました。
次に、一生懸命に家計簿を付ける長男。食器の後片付けや洗濯等の自分の役割を果たそうとする長男長女。自堕落そうに映る母親ではあるけれど、ちゃんとしつけをしようと頑張っていた時期があると思われる場面があって、ふいに今までのその生活をなかったことにしてしまいたかったことって、何なんだろうと考えさせられました。
実際にあった『西巣鴨子ども置き去り事件』からは、もう15年も経ったということなので、その後、30歳を目前にした彼等は、どういう人生を送っているのかと言うことに興味を持ちました。(決して興味本位の覗き見趣味ではなく)
【このメッセージは作品の内容に触れています】
It is the best film I've seen in 2004
2004年10月23日 Anna Lai
Hi, I'm a viewer from Hong Kong. I saw `Nobody Knows' last night,
and I was touched by the film. I like your style, very sensitive,
very simple shot design, with careful planning. And because this
is a film from Japan, which many people think
Japan is a very nice country, rich, civilised...etc. But still we
treat our kids in this way...The success on surface already covers
bad things underneath.
And I appreciated you chose a difficult topic to make, it is not
an entertainment film, which it may not win good box office, but
you still made it, and made it well.
Anyway, I hope the little girl didn't die like what happened in
your film.
Wish you well.
【このメッセージは作品の内容に触れています】
こどもとして、伝えたいことがあります。
2004年10月23日 紫陽
怖い、とそう思った。人間がどんなに残酷で醜く、そしてまた儚く弱いものなのか。それが一挙に脳へ叩きつけられたかのように感じた。
前評判に泣けると書いてあったのを見かけたから、それで、この映画を見ようと思った。
最後には私も泣きそうになっていた。
でも、それは決して感動じゃない。
ただ、悔しくて泣きそうになった。
あまりに如実に『こども』という小さな存在を表しすぎていた。無力で、弱い、こどもというものが、確かなものとしてそこに在った。
いつだってこどもこそが、こどもの無力さをよくわかっているのに。
むしろ、それを知らないのは逆におとなたちだ。
わかっています。だから、わかってください。
私たちこどもは無力です。
無力すぎて、一人で生きていくことも、ましてや誰かを救うことなんかもできやしない。
作品中で幼いゆきが命を落としたように。
そして、それを救えなかった3人の兄姉のように。
どうして生きることすら許されないんですか?
その存在すら認められてないこどもたちがいる。
生きているのに、生きていることを認められないこどもたちがいる。
おとなは、こどもを経て今おとなであるのではないの?
私たちと同じように、おとなになるために足掻いてこどもの時を過ごしていたのではないの?
その足掻きこそが『生きる』ことじゃないの?
こどもたちは、誰よりもたくさんの明日を持っている。
こどもたちは、こんなにも生きている。
生きようとしている。
私は無力なまま、暖かく育ったこどもだから、おとなになるのが怖い。
お金や力を得られるようになる代わりに、おとなになることで何かを失いそうで怖い。
もうすぐ私も、こどもの声の聞こえないおとなになってしまうんだろうか。
そんなおとなには、なりたくない。
限りない青空なんて、飛べなくていい。精一杯、地を這っていられればいい。
そうやって、みんなが明日を生きる。
誰も知らない自分をみんなが一途に生きている。
こどもたちも、生きています。
映画は心の支え
2004年10月22日 ラストシーン
この夏「誰も知らない」に出会いました。
最後のストップモーションのラストが切なく、これを見るために3回、映画館に通いました。
先日は渋谷の映画館でメイキングDVDが先行発売されており、迷わず購入しました。
是枝監督の優しく忍耐強い指導と、最後の柳楽君の泣顔がまた深く心に残りました。(映画では決して無かった涙に、彼の想いが凝縮されているようでした)
お願いがあります。
5、6年後、同じキャストで成人になった彼らの続編を心から見たいと思います。 また数年、モチーフを暖められて、新たな感動を創造下さることを切望します。
(私のリクエストは、押入に入っていた京子さんの心象にスポットを当てて欲しいなと思います)
最後に、色々な賞の受賞、本当におめでとうございます
友達とふたたび、そしておめでとうございます
2004年10月22日 sara
この前、シネ.アミューズで見たときは、一瞬ですが、睡魔によって、一場面記憶になかった。ごめん!!!
今日、ふたたび、一コマも漏らすまいと五感を研ぎ澄ませて見ました。これはやはり、映画館で見るべき映像。
DVDではなく。この想いの通り、ゴールデンプラーク賞受賞、おめでとうございます。
誘った友人から、もう一度見る、というメールが今届きました。
明君の汗のひとしずくが、静に水面に輪を描いてひろがっていく気がします。
映画・誰も知らないふわぁみりぃ様江〜
2004年10月22日 岐阜県・平和祈り子
この作品は、平和の成功させるための時代の始まりの平成1年の頃から是枝監督様に温かいまなざしで見つめつづけて戴けていたのですね〜! きょうも東海ラジオ様で大絶賛されておりました〜! もちろん岐阜ラジオ様でも柳ケ瀬のシアタ〜ペルル様で上映されている頃に「皆様にぜひ観て戴きたい作品です」と語られていました〜! CBCラジオ様でも「映画を観てからの拍手喝采も素晴らしい」って話されておりましたよ〜! 私自身は胸をえぐられるような気分でしたね〜! 姪と娘と行きました〜 娘達は衝撃を戴いておりましたよ〜!!
是枝監督様と あの事件のおにいちゃんのモデルとなられた方の 人としての真心を目の当たりにさせて戴けた事に心より御礼と深い感謝を申しあげまぁす
〜ラジオネ〜ム〜平和祈り子〜
昨日見に行って来ました。
2004年10月22日 かりん
どこかのメッセージでこの映画をみて安易にかわいそうとか涙を流したとかですまない、それではいけない。主人公である子供達、明君が涙を流してはいないのだから・・という内容が書かれているのを拝見していました。
実際映画館でも泣くだけでは意味がないという言葉が心にしみていて、涙を堪えながら複雑な気持ちでスクリーンを見つめていました。
けれども、涙があふれてしまいました。リアルな子供の表情と成長。美しい季節の流れ。心が痛かったです。
悲しい気持ちや辛い気持ちは甘える場所があるからこそ悲しくて辛いと感じる。
幼い頃、私は祖父の厳しさと家族から愛されていないという不安から大きなハゲが出来ていました。それでも、毎日は過ぎるし楽しかった、ハゲていてもそれを忘れて遊べる無邪気さもあったし周りの子達も理解出来ない年だったので自分を悲しんだ事も涙する事もありませんでした。でも、祖父がなくなった葬式の場で親戚の方が「あの子には本当にかわいそうな事をした。心の傷は一生のこる。
誰にも言えずに我慢していたのが不憫でならない」と私の話をされているのを聞き、知っている人がいたことに、あまり愛されているようには感じられなかったことが間違いではなかったことに、複雑な涙を流しました。そして、その時(自意識過剰ですが)幼い自分を思い辛いと言う気持ちがなかったわけではなく感情に蓋をしていたのだなと涙が出ました。映画と関係もないかもしれませんが、誰かに愛されているから涙が出るんだと思いました。
心に染み入りました
2004年10月22日 光ママ
重度の知的障害児を持つシングルマザーです。子供が養護学校に上がる頃、「きもい」という我が子への言葉を残し、子供の父親は義両親の元へ帰りました。その後、全く連絡はありません。その中で、会社、社会の助成を受けながら、何とか生活しています。毎日が自分をすり減らして120%の力を注いで生きています。
一昨日、台風の中、有楽町で「誰も知らない」を観ました。月に1度の施設へのショートステイを利用して、我が子を預け、私は、どうしても、この映画が観たかったのです。上記を読めば、私は、必死で生きる母親かもしれませんが、正直、何度も子供を捨てたいと思ったか分からない毎日でした。ですから、子供を捨てた母親の話を観て自分を客観視したかったのだと思います。
どんな母親でも母親を思う子供達の気持ちを(特にマニキュアがはげてきたシーン)感じ、いち、母親として、考えさせられました。そして、具体的に、何が感銘を受けたかわかりませんが、もう少し、子供に愛されているという事に毎日実感を持ってやっていけたら、、、と思いました。そんな事を考えました。
とはいえ、恋人が出来ても、もれなく重度障害児が付いて来ると分かると離れていく状態で、明の母親のように、いつまでも<女>であって生きているのが、少し羨ましかったです。女であって、子供がいて(障害児)、母親であって、会社人であって、沢山の自分が有り、その配分ペースのバランスを明の母親から考えさせられました。
もう少し、生活にゆとりが出来たらDVDとかで、ゆっくり、また観たいです。
一人一人の課題
2004年10月22日 Moriyama
私は一児の母です。
昨日映画を観てきました。
映画のなかの“母”は決して“悪い人”ではなく、子供を愛していたからこそ、子供達も父が違う兄弟でありながら、寄り添いながら生きていたと感じました。
何が“不幸“だったかと言えば、母が“母”としての責任より、“女”としての“自分の幸せ”を優先した事で歯車が狂ったのだと思いました。。
独り身であれば、“女”としての自分を優先しても何も問題ではなくても、子を持った以上は、やはり子供に対して絶対的な“責任”を負わなければならないのです。その覚悟が無ければやはり子供を持つべきではないと思うのです。
どんな親であっても、子供は小さければ小さいほど純粋に親を信頼しています。子供が独り立ちするまでは、決してそれを裏切ってはならないと強く思います。
しかし現実には、事情によってやむを得ず“親の責任”を果たせない場合もあります。
そしてもっと不幸なことに、同じ屋根の下に一緒に暮らしながら、子供が悲劇にあう事件が後を絶ちません。
だからこそ、全ての子供に対して社会全体が“責任”を持つような世の中になっていって欲しいと思います。
この映画はただ子供の姿を描写していますが、これは全ての人が見るべきで、映画を通して、その人の立場に応じて、“自分”はどうするべきかを考えるきかっけになって欲しいと願ってやみません。
最後になりましたが、どの子も様々な苦悩や、悲しみを抱えながらも純粋に輝いていて、是枝監督に安心して身を委ねている事が伝わってきます。是枝監督だからこそそれが出来たのでしょうね。
これからもこのような素晴らしい作品(テーマも映像も)を提供して下さることを願っております。
なんにもしらない
2004年10月22日 にゃんこ
普通に子育てしていても、虐待のニュースや、逆に過干渉に苦しむ実際にいる周囲の子どもを見ることはあります。どの子も皆、親の愛情を求めているのに、映画の小さな2人は、兄、姉がいるから、泣きもしないのが却って、可愛そう、哀れとは違う・・・最初からないから、求めないのか?姉が母親の服を抱きしめて一人悲しむのが、対照的でした。
子どものプライドは高く、凛として美しい。
施設に保護されるのを拒んだ、その強さに驚きました。
たくましさと、段々変わっていく、落ちていく、破滅に向かっていく、リアル感に、今まで知らなかった世界を、いや、見ようとしなかった現実を知らされた映画でした。
虚構の世界の夢のような御伽噺的映画も面白いけれど、少し食傷気味だったので、ドキュメンタリではないのに、そう感じさせてしまう、この映画は印象的でした。
演じる子供たち、家に帰ると可愛がられて良く育ってるはずなのに、本物の兄弟の話のようで不思議でした。
親はなくとも子は育つ?お金と兄弟さえいれば?病気になった時はどうするんだろう、などと、母ならではの余計なお世話的心配もしてしまいました。
子供たちの、その後はどんなだったんだろう。
映画人を目指す娘にも見ることを薦めました。
おめでとうございます
2004年10月22日 Kaori
Chicago International Festival, Golden Plaque賞、受賞おめでとうございます。このFestivalで2回上映されたうちの一回を見たものです。シカゴ近郊には日本人がたくさん住んでいるので、もしかしてお客さんは日本人ばかり?と思っていたのですが、とんでもない!日本人はほとんどいませんでした。その日はチケットSOLD
OUTで、場内はほぼ満席でした。アメリカの 方々にも、ゆきちゃんはとってもかわいくてたまらないらしく、ゆきちゃんのシーンでは歓声が上がっていました。一番受けて(?)いたのは、ゆきちゃんがきゅっきゅサンダルを履くシーンでした。なんてかわいんでしょう!っていう観客の歓声がすごく大きくて、私もうれしくなってしまいました。私は、監督のぎりぎりまでそぎ落とされた表現と子供たちの素晴らしさに感動して泣いてしまったのですが、周りを見渡すとあんまり泣いている人は見かけず、ちょっと恥ずかしかったです。。。でも、映画の上映が終わるととても大きな拍手が起こりました。今日、この受賞のニュースをみて、やっぱり皆さん評価してくださったんだなーと思ってすごくうれしかった。最後に、アメリカの上院についてメールで質問に答えてくださった、このサイトを管理なさっている皆様に御礼申し上げます。おかげでここアメリカでこの映画を見ることができました。本当にありがとうございました!!!!
まるで胃のなかにおもりが入ったような衝撃が・・。
2004年10月21日 りっぷっぷ
この映画が話題になったときに、現実に起きた事件の記憶がよみがえりました。当時私は結婚し、この事件が起きたごく近所に引っ越したばかりでした。自分の身近なところで起きた事件でもあり、大変ショックを覚えました。
出生届が出ていない・・。病気になったときはどうしていたのか。保育園や学校、健康診断や予防接種・・。届けが出ていれば当然に受けることができるたくさんのサポートなしに子供たちは育ったのです。「普通」や「常識」といった中に生きる、生きていると思っている人々から見たら理解できない現実の中で、その術を知らずに生きている人がいるのです。自分ののごく近くに・・。誰かが気付いて光をあてなければ誰も知らないままの現実なのです。
今こうしている間にも、私たちの近くに同じように戸籍も住民票も無い子供たちがいるかもしれません。
是枝監督が、この事実に光をあて、あふれるほどの情熱を持って、これほどまでにリアリティーのある作品を作られたことに、拍手の手を止めることはできません。
出演された皆さんも、すばらしかったです。それは、もちろんそれぞれの皆さんの力でもあり、出演した子供たちを通して、事件の中にあった子供たちに向けられた監督の深く温かいまなざしのなせる業なのだと思います。
【このメッセージは作品の内容に触れています】
まるで胃のなかにおもりが入ったような衝撃が・・。
2004年10月21日 りっぷっぷ
見ていて、ホントに生きてくにおいがする感じがしました。明の鋭くも守っていくぞ!というちから強さ、京子の母性あふれる洗濯機を見守る目、茂のおとぼけながらの信頼感、そしてゆきのけなげさ。先にみた人からの意見と自分がこの目でみたものとが全然ちがうのにびっくり。大人たちは一体何を見ているのだ!と怒りのような感情がありました。経済的社会的に守られていることがどんなにぜいたくでわがままがいえる立場なのか、自分が恥ずかしくなりました。ゆきちゃんが亡くなって羽田の飛行機の音とスーツケースがオーバーラップしてしまい、穴を掘り終わったときには涙が止まりませんでした。なにか重いものがいのなかに溜ったような感じです。
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