アメリカのアリゾナ州メサ映画祭から戻りました。
アメリカ滞在記など記そうかと思っていたのですが、それは又のちほど。
3月8日にエンジンフイルムの安田会長が突然亡くなりました。
あまりにショックでまだ途方に暮れています。
安田さんとは僕が『幻の光』で監督デビューした当初から親しくお付き合いをさせていただいていました。というよりは、いつも「是ちゃん、飯行こうか」と声を掛けていただき、美味しいものを、いや、本当にあちこちの美味しいものをごちそうしてくれました。
そして、何より『ワンダフルライフ』以降のすべての僕の作品への出資と、企画内容からキャスティング、仕上げにいたるまでのプロセスを支援し、アドバイスをくれ、ともに笑ったり、悔しがったりしてくれたパートナーでした。
僕と、恐らくは西川美和のふたりは、安田さんがいなかったら、今こうして映画監督として作品を作り続けてはいられなかったでしょう。その意味で、僕たち「兄妹」はまぎれもなく安田さんの「こども」でした。
安田さんはプロデューサーという肩書きでクレジットされることを好みませんでした。常に「企画」という役割(肩書き)に自らを限定し、取材を受けたりすることもせず、表に出ることを、ある種の美学として避けていました。
『誰も知らない』でカンヌの映画祭へ行った時も、「どうしても仕事があるから」と同行せず、授賞式の終わったあとにやって来て、カンヌの街はずれの小さなカフェで「良かったなぁ是ちゃん」とひっそりお祝いをしてくれるーそんな人でした。
クランクインしてしまうと「もう俺の仕事は終わったから。俺は脚本作ってキャスティングしてる時が一番楽しいんだ」と言って、あまり撮影現場には訪れませんでした。来ても長居はしません。それでいて『ワンダフルライフ』の時などは陣中見舞いの翌日にコーヒーメーカーが新しく現場のすみに準備されているーそういう目配せをさり気なくされる人でした。
それは、時としてぶっきらぼうに映るかも知れない自身の物言いや、会長としての立場から、自分の存在が必要以上に周囲や現場にプレッシャーになることを危惧しているように僕には感じられました。そのような繊細さは恐らく相米慎二監督との仕事から、安田さんが見出したスタンスだったのだろうと思います。
その安田さんが、一昨年の夏の『歩いても 歩いても』の撮影の時には何度も東宝のセットに足を運んでくれました。
気心の知れた夏川結衣さんや、同年代の樹木希林さんの存在が大きかったのでしょう。とてもにこやかに映画の現場を楽しまれていました。上の写真は、その時僕が撮ったものです。
そして今年公開される西川の新作『ディア・ドクター』は、安田さんが映画に関わるきっかけになった相米監督の『東京上空いらっしゃいませ』以来の盟友といってもいい「仲良し」の笑福亭鶴瓶師匠の主演です。
安田さんは、何度も何度も泊まりがけで撮影現場を訪れていました。
だから、かえすがえすも『ディア・ドクター』の公開初日を待たずに、そして僕の新作の完成を待たずに逝かれてしまったのが残念でなりません。
僕は父親を二度亡くしたような、そんな日々の中にいます。
告別式を昨日終え、火葬場で西川とふたり並んで安田さんを見送った今もまだ全く信じられませんが…ご冥福をお祈りします。お疲れ様でした。そして本当にありがとうございました。
是枝裕和