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思惑

2021年5月15日

もう何年前になるだろうか…知り合いの樋口景一さんという電通のクリエイターの方と世田谷公園で春夏秋冬と4度対談したことがある。(その後、対談は本になって出版された。『公園対談』(廣済堂出版 2016))
1回目は確か、オリンピックの東京招致が決まった頃で街中に横断幕が掲げられていた。「今、ニッポンにはこの夢の力が必要だ」というキャッチコピーというかスローガンへの違和感について、「本来は、スポーツがニッポンに何をしてくれるのかではなく、スポーツの発展のために何が出来るのかを考えるべきなんじゃないか?」と僕が話すと、彼は「その通り。だからこそ今度のオリンピックが日本にスポーツを文化として定着させるラストチャンスだと考えているんです」と話された。頑張って欲しいなぁと思う半面、無理なんじゃないかなと思う気持ちのほうが強かった。今彼がどのようなポジションでこのオリンピックに関わられているのかは分からないけれど、政治家がオリンピックを出汁にして「復興」だの「コロナに打ち勝つ」だの「絆を取り戻す」などと語るのをどのような気持ちで見ているだろうか、と思うとちょっとやるせなくなる。それでも、彼と話せたことで、僕自身は自分のなりわいとつながりの深い東京国際映画祭というものを「このままならやめてしまえ」と野次を飛ばすだけではなく、少しでも自分の考える映画祭のあるべき姿(映画が日本に何をしてくれるか?ではないアプローチ)に近付けるべく汗を流そうと決意したこともまた事実であり、やはり、分野の違う人と話をするのは大切だな、と改めて思った。

さて、ここからが今回の本題なのだが…。「センターレーン」という池江璃花子さんを撮影したショートムービーを SKⅡという企業の新しい取り組みとして制作させて頂いた。その経緯について少し触れたいと思う。お話を頂いたのは一昨年2019年の冬だったと思う。女性アスリートを主人公に制作するショートムービーシリーズのうちの1本で、当初の共通テーマは「美は競争ではない」ということだった。クライアントが提示したこのテーマは、その後二転三転し様々な「怪獣(モンスター)」と闘うという共通テーマが掲げられたこともあった。とりあえず池江さんにお会いして話してみないといったい今彼女が何を「怪獣」だと思って闘ってるのかわからない。病かも知れない。病気になる前の自分かも知れない。それこそオリンピックかも知れない。なので、一度とにかく会わせて欲しいとお願いした。「会う前に構成が知りたい」「いや会わないと構成など書けない」「こんなメッセージを伝えたい」「取材する前からメッセージが決まっているなら取材は必要ない」etc。この、広告とドキュメンタリーの価値観というか、制作プロセスにおける「流れ」のズレを何とか埋めて、ご本人にお会いしたのは2020年の3月だった。お会いして、1時間ほどお話しした。初対面だったが、きちんと他人の話に耳を傾け、自分の言葉を探しながら答える聡明な方だと思った。そこをスタートに何度か重ねた対話の中で、彼女から「センターレーンが自分の為のコース」という強い言葉が出て、じゃあそこへもう一度戻っていく彼女の姿を追わせてもらおうと僕を含む取材スタッフは考えた。

僕個人の「思惑」としては、夏に開催される東京オリンピックの水泳の決勝レースの裏で、五輪とは全く無縁に、ひとり黙々とプールで泳いでいる彼女の姿を撮ろうと思っていた。それがゴール。ラストシーン。アンチオリンピックというメッセージをその姿に込めてやろうというようなものではもちろんなかったが、オリンピック関連の仕事は一切引き受けないと決めていた自分にとって、これなら前向きに取り組めるだろうと考えた。否応なくオリンピックの広告塔の役割を背負わされていた(と僕は彼女に会う前は感じていた)彼女が、病によってその「重荷」から解放された。だからこそ原点に立ち返って純粋に泳ぐ姿を撮りたいと思っていたのだ。
しかし、この思惑は、いくつかの理由によって見事に裏切られていくことになる。
作り手の思惑が被写体によって裏切られるということは、本来「広告」にはあってはならないことであり、「ドキュメンタリー」にとってはむしろ僥倖なのだけれど、今回のケースに関していうとそう単純ではなかった。
最大の誤算(とあえて書くが)は、彼女の回復が想像をはるかにこえて早かったことである。
3月にお会いした時はまだ髪も短く、声にも力が無く、筋肉が落ちて痩せた姿には痛々しさすら感じた。本人は4年後へ向けていたって前向きだったが、まさか1年後にオリンピックの代表に選ばれるなどとはあの場にいた誰一人想像してなかったのではないかと思う。クライアントが最終的に用意したメッセージは「Change Destiny」というものだったが、まさに被写体自らその言葉を体現してしまったわけである。もちろんそれは彼女の類まれな努力の結果もたらされた朗報であるし、スタッフ一同感嘆の声を上げた(もちろん僕も)し、先程書いた通り、作り手の思惑を取材対象が軽々と超えてしまったのだから、それはもう素直に受け入れるべき事態なのだろうと思った。
制作のプロセスでクライアント(代理店)から「Change Destiny」というテーマが掲げられた時に、企業が伝えたいと思っているこのメッセージを(それは企業の自由だが)作り手や池江さん本人に代弁させるようなことはするべきではないと繰り返し話した。当然だが、努力や意志で変えられない運命もある。特に病はそうだろう。僕自身、身内の人間が病に倒れた時に坂を転がり落ちていく病状をどうやっても留めることが出来なかった経験があるので、「運命は変えられると考えながら彼女は努力している」というように、なるべく言葉を普遍化せずに彼女個別の言葉として届けたい、届けないと危険だということを根気強く提案した。正直「じゃあ同じ病気で死んだ私の母は努力が足りなかったのか。傷ついた」というような類の批判がまっとうだとは僕は全く考えていない。彼女があなたの母親に対してそう考えてはいないことくらい言外とか行間とか、ふくみとか間とかで感じて欲しいと心底思うけど、そうはいかないやっかいな現実がネットを支配していることくらいわかっている。その現実と妥協して、表現の角を丸くしたりエクスキューズを散りばめたりすることはしないけれど、「作品」に関わった方々に現実に火の粉が降りかかる以上、対処法は考える。したがって、10分強の映像そのものの中にはそのようなメッセージは何とか含まずに完成させているつもりでいた。しかし、クライアントのSNS でこの「センターレーン」を紹介した「たとえ、どんな状況に置かれても、自分の意思で運命は変えられます」という普遍化されたキャッチコピーが使われて、拡散され、それへの反感が池江さん本人に向かう事態になった。広告のパッケージとして捉えられた時に、僕らの施したディテールへの配慮がこちらの「思惑」通り受け取られるかどうかは又、別の問題だったと思う。甘かった。
結果として、僕のいくつもの思惑というか目論みは、大きく外れることになったが、それは、彼女をオリンピックの広告塔にしようとして来た人たちにとっても逆の意味で、又、同じだったはずだ。完成したショートムービーは、そのタイミングもあいまって、オリンピック開催の気運に加担する形での公開となった。逆の言い方をすれば、オリンピック反対という国民の大半の「民意」を逆なでするものとして受け取られたようである。ショートムービーの中では「オリンピック」の「オ」の字も触れていないにもかかわらず。
『万引き家族』の公開時に、ネットを中心にいわゆる保守の方々から「あそこに描かれているのは日本人ではない」「作品自体が日本をdisることを目的にしたプロパガンダだ」と(自分からしたら)根拠の無い言葉が数多く投げつけられたが、面白いことに(面白がってる場合ではないが)、今回は「裏切られた」とか「自民党や電通から金が出てるんだろう」とか、いわゆる全く反対の「リベラル」の方々からの批判の言葉が僕自身にも向けられた。前述した通り、世に出した「作品」に対し、それがオリジナルの映画だろうが、依頼された広告だろうが、観た上でのものなら、批判は甘んじて受け止めるつもりでいつもいるけれど、「出来事」を読み解く行為の前で、陰謀論めいた先入観で、世界や、現象や、人物を敵と味方に色分け(しかも二色)するような行為は、本来ならリベラルの人たちが最も嫌悪してしかるべき態度なのではないかと思うのだけれど、それはもしかしたら僕がこの国の「リベラル」に抱いているただの幻想に過ぎないのかも知れない。

プレッシャーから解放された姿を、という思惑が全く逆の結果を生んでしまったことに対して、制作者としては正直責任を痛感している。作って世に出した以上、「作品」や「発言」やその人そのものが、年令や性別や職種と関係なく、政治性を帯びてしまうことも理解している。池江さん本人も、誰かに言われたとか利用されたとかいうことではなく、ご自身の強い意志で様々な発信を今までもこれからもされていくのだと思うし、そのことによって起きる波紋は負も含めて受け止める覚悟なのかも知れない。尊敬する。本来泳ぐことと無縁の、そのような言動をすべき義務は彼女には無いと思うが、レースの時に他の選手への応援も自分の為だと思ってエネルギーに変えられると笑顔で語っていた彼女のことだから、今回の件も何らかの形で力に変えていけることを願っている。だとしたら、そんな「政治的な」重荷から解放してあげたいなどという僕のおこがましい「思惑」(これも見方によっては政治的なものだ)そのものがハナから必要無かったのかも知れないと今改めて感じている。

今回、僕は負けたのだ。池江璃花子という存在に負けたのである。このすがすがしいまでの敗北から何を学べばいいか?今はそんなことを楽しく考えている。大切なのは、負けないことではなく、負けたことから何を学ぶかである。それは勝ち続けることよりも重要だ。そしてそれは、人に限ったことではないと思う。

2021年5月15日   韓国にて 是枝裕和