鴨下信一さんが亡くなられました。自分にとっては、テレビドラマの教科書のような存在でした。
僕が「幻の光」という映画を1本だけ撮ったあと、演出ってなんだ?と頭を抱えて悩んでいた時に、友人の紹介で、稽古場の見学をさせていただきました。1997年。お芝居は「ガラスの動物園」でした。この時の鴨下さんの演出が、もう眼から鱗というか、役者の一つ一つの動作に対して、なぜ階段を降りるのは右足でなく左足からなのか。タバコを吸うためにマッチを摺る方向はなぜ外側にではなく内側になのか?全てを解説というか、解析していくその言葉に触れて「これを演出というのか」と感動し絶望したのを覚えています。きちんと誰かに助監督としてついた経験の無い自分にとっては、特に家族映画をとる時に最も参考にさせていただいたのがこの時の鴨下さんの言葉や「岸辺のアルバム」や「想い出づくり」といったテレビドラマでした。
写真は、5年前に「switch」という雑誌で鴨下さんとの対談を企画していただいた時のものです。5時間質問攻めにしたんですが、その記憶力と教養、経験から導かれる論理、そしてそれを相手にきちんと伝える言葉の選択。どれをとっても20年前と全く変わらず、やはり僕は絶望したのでした。
絶望しつつ、まだまだやらなければいけないことは山のようにあると自分を鼓舞しました。
二度目の、そして残念ながら最後になってしまったこの「授業」もまた僕には貴重な財産になりました。
もっともっと教えていただきたいことがありました。それはもう叶いませんが、鴨下さんが演出されたテレビドラマや、演出に関する文章はたくさん残されているので、これからも今まで通り、鴨下演出を身近に感じながら、少しでも「演出家」として近づけるように頑張りたいと、そう思っています。
ご冥福をお祈りします。
2021年2月10日 是枝裕和